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【1989/05 komm tanz mit mir Ⅱ】⑥

「勿論そんな誘いに乗る大人だって正常な判断力に欠くか、子供によからぬ欲求を抱いていたり、暗に支配欲求があったりするわけだろうけど、それでもそういう関係になってしまったら、アキくんは諸般の事情で正常な心理状態ではなかった子供という只の純粋な弱者ではなく、同時に大人に道を踏み外させた加害者にもなる」 一気にそこまで話すと、トーストを齧って、カフェオレを啜ってお父さんは一息ついた。おれもそれに倣って残っていたトーストを口に運び、カフェオレを飲んだ。バターの油分や塩気とジャムの甘み、小麦の風味、コーヒーの香りと牛乳の旨味が口腔で渾然一体になって通り過ぎていく。 「そうすると、そのことで二重に罪悪感を与えることになってしまう。薄皮を剥くように取り除いてきたアキくんの中の積み重なっている問題がまた雪だるま式に増えて、アキくん自身を苦しめることになってしまう」 「あの、積み重なっているって、もしかして、アキくんのおでことか体の傷、その、性的に乱暴されたのとはまた違うことがあったってことですよね」 お父さんは少し考え込んだ。 「それが全く違う、関係がないこと、というわけでもないんだ」 「それ、どういうことですか」 慎重に言葉を整理して、ゆっくりと俺に尋ねる。 「少し前、2年前になるけど、お父さんが行方不明になってる家でお母さんとお腹の赤ちゃんが殺されて、その部屋の収納からひどく衰弱した状態で男の子が救出されて、他県に住む伯母夫婦が逮捕されたニュースを見た覚えはないかい」 「あ、なんとなくは見た記憶あります。でも新聞もとってないし、テレビもおれ一人だとあまり見ないんで、詳しくは知らないです」 そうは答えたものの、アレだけ大々的にセンセーショナルに報道されていた事件だ、知らないはずがない。 不妊に悩んだ豪農の跡取り娘夫婦が、妹夫婦の子を養子に寄越せと父親に迫り、断られて妊娠中の妹にだったらお腹の子を養子にと迫り、断られた末にどちらも殺害していたことが発覚して、でも、報道されたのはそこまでで、それから急に報道がされなくなった。不自然な事件だった。 まさか、その時の衰弱して救出された子が? 「そのとき救出されたのが、アキくんなんだ」 その事件と、性的に乱暴されたのと、関係がないこと、というわけでもない、って。そんなこと報道じゃ全く報じられなかった。いや、もしかして、だからこそ報道がされなくなったのか。 「アキくんはその日遠足で、お母さんとお腹の赤ちゃんが殺された現場に帰ってきた。浴室で倒れているお母さんを見て助けを呼びに電話機に向かったところで実行犯の伯母さんに見つかって頭部を殴られて監禁された。そこまでは報道にあったとおりなんだ、でも」 でも?何?嫌な予感で顔や手足の血の気が引いていく。 「アキくんにとって地獄だったのは、意識を取り戻してからだった。暴力を振るわれ、時に体を切りつけて脅されながら血の繋がった伯母に性的に乱暴された。しかも開放されるまでの間、伯母は母親になりすまして何食わぬ顔で暮らしていた。解体した遺体をアキくんに食べさせながらね」 急に報道がされなくなった理由がそれか。確かに、性的に乱暴されたことであれば「わいせつ行為」「性的にいたずらされた」などの言い方で報じることはある。でも、この場合報道機内とされたのは、おそらく、殺された肉親の屍肉を食わされるという異常事態とその猟奇性だ。 「伯母がアキくんの子を身籠って去って、開放されてからもアキくんは逃げることもせず、飲食を断って、書斎の収納に籠もっていた。回復して聴取が始まった時、アキくんはあのままそこで死ぬつもりだったと、泣きながら言ったよ」 てか、今、アキくんの子って。 「え、それ2年前で、小6の夏くらいの話ですよね、そのくらいの年でそういう事するやつも居るかもだけど、妊娠させるような能力なんて」 「あったんだよ。アキくんには病気があって、その影響でもう既にほぼ大人の体だった。アキくんの体は成長を終えていて、あれ以上はもう成長できないんだ」

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