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【1989/05 komm tanz mit mir Ⅱ】⑦
言葉が出ない。そんなこと、どうして。そのときできた赤ちゃんはどうなったんだろう。勿論報道なんてされなかったと思う。アキくんは伯母さんが自分の子を妊娠していたことや、その子がどうなったのか知っているんだろうか。
「アキくんを養子に出せないと断ったのもそのせいなんだけど、性という尊厳に関わることは、譬え血縁者だろうと話したくなかったんだろうね。伯母夫婦はそれを知らなかった。アキくんが知能は高いものの自閉症の傾向があって、集団生活に馴染めず不登校だったこともね」
「あの、アキくんは、伯母さんが自分の子を妊娠していたこととか、その子がどうなったのかとかって」
「妊娠については知っていたよ、でももう忘れていると思う」
そういえば、アキくんは全部忘れちゃったと、何度か言っていた。アキくんの担任の先生も確か、自分に関することだけ全て忘れてしまったと。
「忘れているって、どういうことですが」
「忘れたんだ、自分に関することだけ全て。意識が回復して、ある程度栄養補給に耐えられるようになってから聴取に応じたんだけど、そこで全て話しきった後、全部忘れ去ってしまった。事件の概要が合っているかどうかだけ答えさせるべきで、詳細を供述させるべきじゃなかったんだ。話すことでトラウマが整理されるという説を鵜呑みにして止めなかった僕が悪い」
そう言うと、アキくんのお父さんは眼鏡を外した。レンズには涙が溜まっていて、更に俯いた顔からテーブルに涕涙するのをおれは呆然と見ていた。
「アキくんが再び目を覚ました1988年2月25日は東京は深夜からひどく冷えてて、雪でね。目を覚ましたアキくんは体についてた管という管を引っこ抜いて、筋肉が衰えてまだ巧く歩けないのに、どうやってか外に飛び出していってしまってね。履物や療養着が濡れるのも構わず駐車場で遊んでたんだ。僕は、アキくん風邪引いちゃうよ、って声をかけたんだ。そしたら」
しばらくお父さんは言葉にならないのか、俯いて震えていた。深く溜息をついてから続きを話す。
「周りを見回しても、僕とアキくんと警備の人しか居ないのに何度も周りを見回して、アキくんは、アキくんってどのひと?って言ったんだ」
その言葉を聞いて、おれも耐えきれなくなった。
憤りに体が震え、涙が止まらなかった。
1つの事件が、只でさえ困難を抱えていたアキくんから、何もかも奪い去ってしまった。
「アキくんのお父さんは遺体さえ見つからない状態だったから、僕とさくらさんは相談して、アキくんを責任持って治療する意志を確認して養子に迎えることにしたんだ。僕たちも伯母夫婦と同じく男性不妊で子供が居なかったから。それと同時に、伯母が妊娠しているアキくんの子も生まれ次第、二人目不妊の知人の家に特別養子縁組で迎えられるよう弁護士を雇って準備を進めてもらった」
少なくとも、アキくんの両親はアキくんをケアし続けるために養子に迎えて、今こうやってアキくんが少しでも幸せであるように尽くして暮らしていることを思えば、そして凶悪犯罪で長く服役したり極刑になって養育できない場合なんかも必要な制度ではあるんだろう。
でも、うちも親だってそうだけど、そもそも子供が居ないからってなんだよ。居なければおかしい、欠陥のように言われるような風潮自体がおかしいじゃないか。
取ったり取られたり、搾取したりほったらかしたり。そりゃ法に阻まれて稼ぐ事も必要なものを契約することもできないし、物事を知らなかったり判断力や倫理観も十分でない子供だけでは危険が多すぎて、ひとりでは生きてはいけないだろう。でも愛玩動物でもモノでもない。命を何だと思ってるんだ。そんなの絶対におかしい。
「ハルくん、実は僕たちは、きみのことを新たな養子なり、里子として迎えられたらと話していたんだ」
「えっ」
顔を上げて、おれは袖で涙を拭った。
今日持ってきた書面から察するに、おそらく家はそのうちなくなること。実の両親から潤沢に養育費を受け取っているのにカードの限度額が尽きて滞納し裁判所にも呼ばれていたが期限を過ぎていること。税金も全く払っていないのでそのうち家や家の中の金目のものは差し押さえられることなどが告げられた。
そして、そのようなことをしているうちの親はもう国内には居ない可能性もあること、このままだと通告せざるを得ず、一時保護ののち養護施設行きになること。但し、弁護士を立てて児童相談所に相談し親権停止を申立て、その間2年間で親が戻らない場合には更に親権の喪失を申し立てることもできる。
その頃にはおれも高校を卒業するくらいの年齢になるから、それまでこの家で預かることにすれば施設行きも避けられる。その上で、おれの進路や意思に合わせて、新たな養子なり里子として迎えるようにしたいという話だった。
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