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【1988/05 Erwachen des Frühlings】①

《第1週 金曜日》 わたしが国立小児病院に勤める知己の友人から相談を受けたのは、その事件が報道されなくなり世間で話題に上ることも減りつつあった冬の或る日のことだった。 嘗て恋人だったその人から「事件の被害児童が実はうちに秘密裏に転院してきている。診療科間で連携しているが、担当しているスタッフの中でどうも身元を引き受けた伯母夫婦の言動に違和感があるという声がある、一度面談に立ち会ってもらいたい」と頼まれた。 そして、その際には、あなたは精神科医ではなく他診療科の研究医というていで同席してほしいと念を押された。 電車を降りて小さな駅の待合所の公衆電話からタクシーを呼んだ。砧公園の奥につながる道を走っていると、屋根が赤くテラコッタの壁がメルヘンチックで可愛らしい病院が姿を表す。そこは小児医療と周産期医療の専門病院として母子と小児を包括し総合的高度専門的に医療を提供するための国が建てた病院だ。 降り立ってみると、事件があった区から移送されていることは知られていないのか、既に何らかの対策をとったのか、周辺に取材を試みるような不届きな者の姿は見受けられなかった。最初に保護されていた病院を取り囲んでテレビのニュースやワイドショーが連日大騒ぎして報道するのを目にしていたので、そのような事態に遭ったらどうしようかと思っていた。 その被害児童はひどく衰弱し、餓死寸前の状態で初動対応した救急に運び込まれ、集中治療室でリフィーディング症候群の危険がなくなるまで代謝に必要となるビタミンを経腸で輸液投与が為され、その後モニターしながら100kcal前後/日ずつ摂取エネルギーを増量し、通常1~2週間をかけてkgあたりのエネルギーを25~30kcalまで増やしていくが、臓器のダメージがありうまくいかず、何度か危機状態にあったらしい。 ようやく栄養状態を維持できるようになって1ヶ月ほど前になんとか意識不明状態を脱し、この病院に来たという。 現在は全身の筋力を取り戻すためリハビリを行なっているが、女性スタッフの解除や看護を受け付けずパニックを起こす、思春期早発の影響で自分の体の変化や容姿をひどく気にする、非常に知的だが自閉傾向が強い、自傷行為が見られるなどの問題が有り、難渋しているという。 そこで友人は、小児から思春期の子供の専門の精神医療機関の開設準備のため勤務先の常勤からを外れたわたしに相談を持ちかけ、ついでのように「もし可能であれば、その子を引き継いであなたに診てもらいたい」と付け足した。わたしは「開業でさえこれからなのに」とも思ったが、入院設備のある専門病院の開設を目指していたので、手伝うことを引き受けた。 何より、何が原因というのもはっきりとしないまま、なんとなく気持ちが離れるのを感じていたのに、こちらから問い質すことも出来ずなんとなく会わなくなって、そのまま縁が切れてしまっていたのに、芯の強い人が仕事上の行き詰まりを感じた時、わたしを思い出し頼ってくれたということがうれしかった。 問題の伯母夫婦は毎週水曜に顔を出すということで、今日は友人に伴われ役員と面談し、正式に非常勤として勤務するための契約や事務手続きを済ませた。 終わってからそのまま本人の様子を見せてもらうことになり、平服のまま病棟に向かった。通路に施錠された病棟に入り、詰所の目の前だというその子の部屋を覗く。ベッドの上に大量の本が積み上がっており、どこで寝ているのだろうという有様だった。 本人は、何やら歩行器に体を預けたまま格子の掛かった窓越しに空をずっと眺めている。思春期早発と聞いていたが、確かに中学1年生にしては背が高い。そしてちらほらと細い脚に体毛が生え、無精髭も見える。抜毛症になっているのか、瘡蓋やそれを剥がしたような痕が白い肌にところどころついていた。喉仏もはっきりしている。 「アキくん」 ドアをノックして友人が声をかけると、その子はひどく驚き、怯えた様子で振り返った。 これが、わたしとアキくんの出会いだった。

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