192 / 440
【1988/05 Erwachen des Frühlings】③
《第1週 土曜日》
夕方、午前の資料や会議を終えてから田川が家に来た。
その手には決して大きくはないが、両の手で抱えなければいけない程度のダンボール箱があった。しかも果物を出荷する用の二重構造のものだ。受け取るとずしりと重く、慌てて力を入れて持ち直した。
「お疲れ様、なんだかすごい量だなあ」
「話さなければいけない前提が多すぎるんだ、お邪魔するよ」
妻は、土曜日もフルで診療があるためここには居ない。先程昼休憩を終えて一回の自分のクリニックに戻ったところだ。わたしは適当に座っててもらうよう伝え、箱をダイニングテーブルに置いてから飲み物やちょっとしたつまむものなどを用意した。
冷たい飲み物が好きで、甘いものはあまり好まない。昨日買ってきた茶葉で作っておいた糖類を加えないアイスティと、パンを焼いて作っておいたオープンサンド数種を持ちつけて出す。彼の好みはまだなんとなく覚えていた。
「相変わらずフジはマメしいなや」
彼は、仕事場や人前でこそ出さないが、わたしの前では生まれの雪国の訛りをあまり隠さないで話す。久しぶりに聞くその独特なイントネーションもなんだか懐かしかった。
「いや、そんなことないよ、家事なんて気分転換になるからやってるだけだし、味は保証しないよ」
「そったこと言って、作ってくれたもの不味かったことだっけ一回もない」
丸みのあるグラスに注がれた冷えたお茶を口にしながら目を細めて笑う。切れ長の目を飾る長い睫毛で目元は影を帯びていて、わたしはその目を間近で見るのが好きだった。
「箱の中身は出してもいいの?」
「勿論、そのために持ってきたんだから」
わたしは交差して閉じてあった箱の蓋を抉じ開け、その中身を取り出してテーブルの上に積んだ。
そこには、これまでのアキくんの診療記録、親御さんの記したと思わしき成長を記録したノート、アルバム、通知表や添削教材の答案など、多数の紙ものがぎっしりと詰まっていた。
「やっとこないだ警察から戻ってきたんだども、あの夫婦に渡すのはおれの判断で止めだ。理由はそのノートの中ば見たらわがる」
わたしは促されて丁寧にナンバリングされてインデックスが付けられているそのノートを新しい順に並べ直して手元に積んだ。事件の直前の記録のほうがおそらく重要だろうと思い、わたしは後ろの空白のページから順に捲る。わたしがそれを読んでいる間、田川は黙ってオープンサンドを摘みながら待った。
最後の日付の記録には、明日が遠足であること、今の学年になって初めての登校であることへの懸念、記録したお母さんが押しが強い今の担任が苦手であることが記されていた。そしてその3日前にはお父さんの捜索願を出した旨と、もう生きてはない気がする、自分も殺されるのかもしれないという本音が記されていた。
更に記録を遡ってみる。お父さんの職業は常勤と非常勤掛け持ちで大学で教えている多忙な教員だったようで、講義している各学校に連日謝罪の連絡をしている。追っていくと2週間前、お父さんが特別講義で出張に出たついでに長野県央にあるお母さんの実家に立寄ったのち足取りが途絶え、帰宅していない。
その前数ヶ月は特に気になることは書いていない。わかるのはアキくんが学校には行っていないこと、自宅学習で十分すぎるほど学習成果を上げていること、自閉傾向の幼い子にありがちな「手のクレーン」「言葉のクレーン」や特定の言葉を反芻するなどの行動が今もみられることなどが記されている。
そして、本人が感覚が過敏でこだわりが強く、変化を嫌う傾向があるにもかかわらず、思春期早発の影響で急激に変化していく体をひどく気にしている様子などが記録されていた。
ともだちにシェアしよう!