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【1988/05 Erwachen des Frühlings】④

「手のクレーン」というのは、自閉傾向のある子が相手に何かしてほしい時、自分で手を伸ばしたり指ささずに周りの人の手をとって近づけてやらせようすることがあり、この動作が工事現場のクレーンによく似ているためいわれる。 「言葉のクレーン」も同様で、自分では「〇〇したい」と直接言わず、してほしい相手に対して「〇〇する?」「〇〇しようって言って」と相手に委ねやらせようとする現象だ。どちらも“クレーン現象”と呼ばれ、自閉傾向のある子に顕著な独自行動様式だ。 また、言葉終わりに自分の言った言葉の語尾を繰り返すのは複雑性音声チック、吃音の一種である。事件の影響が発生する以前から、幾重にも問題を抱えていた子であることは間違いがないようだった。 そこから3ヶ月ほど遡ったところで、お母さんのお腹に新しい命が宿ったことが記されていた。そういえば、お母さんが殺された際に胎児も犠牲になったと報道されていたように記憶している。痛ましい。 しかし、気になったのはその第二子妊娠をアキくんに告げたときの反応だ。アキくんはひどく落ち込んでその日は一言も喋らず、やがて夜更けには体調を崩して寝込んでしまったと記されていた。何故そこまで。 わたしは、お父さんが少し年齢がいっているのにアキくんが年頃になった頃になって新たにそういう行為をして子を設けたことにアキくんが嫌悪感をもったのか、或いは、長らくひとりっこで大事に育てられてきたのにここに来て親の愛情を失うことをアキくんが怖れたのかと、この時点では思った。 更にページを捲り、遡って経緯を探ってみる。 その途中、気になる記述を見つけた。 「なんで僕はお父さんの子なんだろう」 そういえばこのノート、お母さんひとりでつけていたものではない。 お父さんとお母さんふたりでそれぞれに、交換日記のように気づいたことやその日あったことが書いている。なのでブルーブラックの万年筆で書かれた女性的な流麗で優美さのある文字と、男性的でかっちりした文字でボールペンで書かれた文字とでかなりの文字数で毎日欠かさず書かれているのだ。 しかも、多忙にもかかわらずアキくんの身に何かあった場合、病院に連れていく役割や面談があった場合の対応は必ずお父さんが担っていたことがわかる。 そしてもう一つ気づいたことがあった。 お母さんの記述に屡々、アキくんが攫われるのではないかと怖れている記述が出てくるのだ。 攫われる?誰に? アキくんが不登校だったのは特性による集団生活への適応不良だけでなく、そう言った部分も大きく影響していたことが垣間見える。何故そんなに、何に、誰に怯えていたのか。 わたしは更にページを捲って辿っていく。 するとその日付から少し前「杏子さんにはどう言ったらよいものか、困った」と書かれている。これはお父さんの文字だ。 その上のお母さんの記述に対する言葉のようだった。 「このことを知ったらまたどちらかをくれといい出すに決まっている。私達の子は私達の子であり、モノではない。そもそも事情があって保護者が居ない子や一緒に暮らせていない子はたくさんいる。稼業を引き継いで働いてくれる子が必要なら態々うちのような配慮を必要とする子や、リスクを持った子を欲しがる理由がわからない。そこまで血の繋がりに拘る必要がどこにあるのだろうか。」 お母さんはそれまでの記述にないような強い言葉で書いており、余程強い憤りを持っていたことがわかる。 このこと、というのはおそらく懐妊の事だろう。 「なあ田川、もしかしてこの杏子さんというのがアキくんの身元を引き受けた伯母さん?」 「んだ、正直おれはその女があやしいと思ってんだわ。もうちょい読んでみでけれ」 まさか、最初のページでの殺されるのかもしれないというのも、もしかして。

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