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【2020/05 野火】⑮
部屋は全面的に通路は広くとられ、段差のないバリアフリーになっている。そして要所要所に手すりや腰を下ろせる場所が作ってある。洗面台やキッチンシンクなどは車椅子のまま利用できるよう、下のスペースが収納にはされていない。扉は基本スライドドアだ。
よく考えたら先生の自宅もそういう仕様になっていた気がする。今から老後を考えてああいう造りにリフォームしたんだろうか。いいよなあ、あの余裕のある空間。
勧められるまま部屋に上がらせてもらい、リビングダイニングの中央にあるダイニングテーブルの下座に通された。先生のお母さんは下座側の椅子に手提げを一旦置いて、台所前のカウンターから湯沸かしポットと浄水ポットと再利用可能な氷型の保冷剤の入った密閉容器を持ってきて、そのあと更にティーバッグやらコーヒーポーションやらガムシロップ、そして冷蔵庫から炭酸水とフレーバーシロップと希釈用の乳酸菌飲料のベースを出してテーブルに並べた。
「うちは基本セルフサービスなので、お好きにどうぞ。まだご飯は作ってる途中だからゆっくりしてて」
そう言うとキッチンに戻ってマスクを着けて調理の続きをし始めた。キッチンの奥では小さな音でラジオが流れている。よく見るとBluetoothスピーカーとスマートフォンが台所の後ろの棚に立っている。自分でアプリを入れたり、接続したりできるんだろうか。先生の親御さんだしそこそこお年のはずだけど、適応力あるなあ。
そんなことを思いつつつつ、自分でお茶を淹れスマートフォンをいじっていると「あ、そうだ」となにか思い立った様子でこちらに戻ってくる。
おれが持ってきた手提げから焼き菓子のほうの包みを出して開け始めた。そして、目を細めて「あぁ、やっぱり!」と声を上げた。
「ねえ、これ、アキくん、玲さんからだったりする?」
ワクワクした様子で訊いてきたが、残念ながらそんなことはない。
「あ、いえ、たまたま買っただけですよ。オーソドックスなものがいいかなって思って…」
「そっか…そのお菓子ね、ちょっと思い出があるの。あとでお話するから」
ニコニコして言うと再びキッチンに戻って、再び調理に入った。自分だけ黙ってお茶をして待つのも申し訳ない感じがして声をかける。
「あの、なにかお手伝いできることないですか」
「いいのいいの、仕事してきた人なんだから座ってて。わたし今日は無職だったから」
今日は、ってことは、仕事していると言っても毎日じゃないんだな。時間があればお父さんのところにできるだけ顔出すようにしてるって言ってたし。
お言葉に甘えて、大人しく待つことにした。
しかし、30分程すると、食べ物の匂いが漂ってきた。昼を惣菜パンで済ませたこともあり、正直お腹は空いている。じっと待つのがつらくなってきた。
「あの、そろそろ食器出したり、手伝いますよ」
いそいそと席を立ってキッチンに近づくと、後ろの食器の入った引き出しから食器を取り出し、炊飯ジャーのプラグのマグネットを外してテーブルに持っていくよう指示された。
念の為、手を洗ってキッチンペーパーで拭いてからそれぞれ運ぶ。テーブルの上にあったティーバッグなど一式はキッチンに戻るついでに一旦持ち、カウンターに避けた。
戻ると出来上がった料理がワゴンに載せられていた。火から下ろしたばかりでふつふつと音を立てている土鍋。その中に入れたと思われる具材を並べた平ざる、その鍋のものを食べるために使うと思われる調味料もそれぞれの段に並んでいる。
「これが糖質カロリー控えめでそこそこ食べでのあるおかずと具沢山の汁物、ご飯はなんか炊き込んだり味がついたやつ、プラスでデザートもありますよ」
おれはワゴンに載ったそれらをダイニングテーブルまで運ぶ。
「鍋物なんていつぶりかなあ、あと、うち、あんまり家でも鍋物ってしたことなかったんで、うれしいです」
そう言うと、ワゴンからテーブルに載せ移しながら「あら、それは何より。うちも英一郎さんが入院してからは全然だもの」と嬉しそうに微笑んだ。
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