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【1997/05 L'amour sans les gens】②

《第1週 土曜日 夜》 それでも、思い切って出掛けてみた連休のふたり旅自体はとても楽しかった。 アキくんは本当にいろんなものに興味を示し、思い浮かんだ疑問や気づいたことをたくさんノートに書いて、写真もいっぱい撮った。普段は偏食して食も細いのに、初めて見る食べ物でも喜んで食べた。家で待っている妻やおなかの赤ちゃんのためにお土産を選んでいるときも楽しそうだった。 わかっている。この子は臆病だったり神経質だったり、変化にも弱いしちょっと社会には馴染みづらいけど、でも、本質的には愛情深い優しい子だ。しかしその愛情深さと苛烈な嫉妬心は正比例の関係にある。子供としての家族に対する愛情はそれはそれとして持っていて、それと同時にひとりの人間として彼はぼくに思慕を懐いていて、それ故の激しい嫉妬があるのだ。 そのバランスを日常ではどうにか保っているが、ぼくたち夫婦の間で何かしら事がある度にひどく乱されることが増えていた。これ以上、それによって起こっている問題をどうしても避けて通ることはできなかった。 部屋で食事を終えたタイミングでぼくは「大事な話がある」と切り出した。言われた瞬間から、アキくんはなんとなく察していたのかもしれない。特に何も言い返さず、無難に相槌を打ってぼくの話を聞いていた。 アキくんは学校にも通っておらず習い事も特にしていないから、色んな人に接する機会が少ないから身近なぼくに意識が向いてしまったのではないかとか、性的欲求と恋い慕う気持ちの区別がつかず混同してしまっているのではないかとか、色々心配していることを話してもみたが、アキくんは卓上をじっと見つめて黙っていた。 僕はひとしきり伝えたかったことを話し、最後に長々と説教じみたことをしてしまったことを侘びた。そして、そろそろ寝ようと促したところで、アキくんはようやく口を開いた。 「なんでぼく、お父さんとお母さんの子供なんだろう」 なんでと言われても、それはぼくらもアキくんも選べることじゃない。呟くと、そんな事はわかってるとアキくんも言って涙を零した。 「おばさんはぼくのこと欲しがってるけど、もしおばさんとこに生まれてたとしても、お父さんに会ったらきっと、叶わないとわかってもお父さんのこと好きになってた。自分のお父さんにこんな気持ちになるのおかしいって、なんとなくわかってた。でも、どこに生まれてもどんな人間に生まれても、きっとお父さんのこと好きになってた。何も変わらない、ずっと苦しい」 音を立てて雫が落ち、座卓の木目が表面張力でレンズ状に盛り上がっている涙の粒に歪む。 「そんなこと思っちゃ駄目なのはわかってるけど、こんなに苦しい気持ちになるんだったら、いっそもっと命に関わるような病気になって、こういう気持ちを知る前に死んじゃったほうがよかったのかなって、思ったりもしたんだよ」 普段のアキくんからは絶対に出てこない聞き捨てならない科白に、思わず身を乗り出して肩を掴んだ。 ずっと俯いたままだった顔を上げて、アキくんは目に一杯に涙を湛え、震えながらぼくを見た。 「だって、この病気になってからお父さんずっと仕事休んで病院付き添ってくれて、ふたりでいられる時間が増えて、嬉しいけど、余計苦しい」 そして、途切れ途切れ、時折しゃくりあげながら続けた。 「今回の旅行だってそうだよ、嬉しいけど、もうこれが最後だって、終わりにしなきゃいけないって意味だと思ってた、もうおしまいにしなきゃいけないんだって、もういやだ、こんなの、生まれてくるんじゃなかった」 その言葉にぼくは珍しく、というか初めて、声を荒げてアキくんを叱り、手を上げてしまったのだ。

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