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【1997/05 L'amour sans les gens】④
《第4週 日曜日 朝》
家を出るぼくの姿を、アキくんが玄関ドアを少しだけ開けて隙間から見つめているのを、ぼくは気づいていた。背中を刺す視線に、気づかないわけがなかった。
でも、振り返れなかった。アキくんの気持ちに応えることはできない。どう接し振る舞っていいのか、ぼくはわからなくなっていた。
それでも、二人目ができたからといってアキくんのことを譲るなんてことは、とてもじゃないが考えられなかった。
義姉夫婦が子が為せないことに対する圧力でストレスや焦りを感じていることは理解できなくはない。しかし、アキくんの身体の問題や就学事情を知りもしないのに、物を欲しがるように繰り返し安易にアキくんに「うちの子になればいいのに」等と言い困らせ、妻が懐妊してからは直接ぼくたちに殊更に強く言うようになったことに、ぼくも妻も手を焼いていた。
このことについてだけはきっちりけじめをつけなければいけない。これ以上妻やアキくんの気持ちを乱すのであれば最早関係を断って取り除かなくてはいけない。その日は、そのためにひとり妻の実家に向かう日だった。
幼い頃からぼくが出かけるときは必ず玄関まで見送りに出てきて「いってらっしゃい」と声をかけて手を振ってくれていたのに、あの旅行から帰ってからは一切してくれなくなってて、その日もぼくが最後見たアキくんの姿は食卓で勉強している後ろ姿だった。
最後に交わした言葉は「名前、帰ってくるまでにふたりで考えておいて」「うん」それだけだ。
せっかくこっそり見送りに出てきてくれてたのに、なんで勇気をもって振り返らなかったんだろう。あのとき振り返ってたら、アキくんはどんな顔でぼくを見ていたのだろう。何を思っていたんだろう。
記述はそこまでだった。
しかもノート本体に書かれていたのは途中までで、旅の話は別途ノートに挟み込んであった。他の紙に書かれているものだった。
手帳の一部、数ページをまとめて切り取ったもので、バラバラにならないようステープラーで留めてあり日付も繋がっている。挟んであった位置からしても、おそらくは実際に旅に出ていた期間の日付と合致するものだ。
丁寧に更にチャック付きのパウチに収納した上でノートに挟まれていたが、ここに納める前はどこかに雑に仕舞われていたのか、乱れた折れ皺がついたり、インクが滲んでいるところがあった。
それ以降、夫婦で交換日記のようにしてつけられていた先生の成長の記録が記されていたそのノートに、お父さんの筆跡が出ることはなかった。そこから最後になった遠足のあった日の記述までは全てお母さんの筆跡だけになっている。
残りのページは捲っても捲っても空白で、その後この家に起きた事態を思うと胸が詰まった。それでも念の為引き続き捲っていくと途中突然、一枚だけ書かれているページがあった。
「命名 玲 読みはレイ・リョウ・あきら、何れか。意味=玉のように美しい。」
先生の、今の名前と意味。それを記す筆跡は、先生のお父さんのものだった。
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