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【2020/05 深度と濃度Ⅱ】①
《第3週 土曜日 午後》
「何また漁ってんのさ」
突然声をかけられ、驚いて顔を上げたら収納の中段の底板に強かに頭を打ち付けてしまった。乾いた打音とともに衝撃と痛みが直撃し、目の中にチラチラ輝点が散らばって視界が遮られた。おれが夢中になって読んでいたせいでもあるとは思うけど、先生が近づいてくる足音や気配は感じず、全く接近に気が付かなかった。
「…い…ったぁ…!」
蹲って顔を紅潮させて涙目で悶絶するおれに先生がゆっくりと近づいてきて、傍にしゃがんでニヤニヤ意地悪く微笑みながらおれの顔を覗き込む。
「なんかやけに静かだなと思ったらまた人のモン勝手に漁って~…別にもうお前のそれは諦めてるし、おれはいいけど、他所でそういうことしちゃ駄目だぞ?わかってるか?」
肘で脇腹を小突いてから、ぶつけた箇所を撫で擦るおれの手をそっと払って、熱をもってジリジリと痛み腫れ上がってしまったその部分を先生が撫でた。そして吹き出して喉を鳴らして笑った。相変わらず意地悪で失礼だなとは思ったけど、よく考えたらおれがやってることのほうが余程失礼なことなのは承知しているので言わなかった。
「瘤できてるから、保冷剤持ってくる。念の為訊くけど、吐き気とかめまいはないな?」
「…それは…大丈夫です…」
おれの返答を聞くと、先生は短く息をついて安堵した表情になった。立ち上がって先生は保冷剤を取りに一旦部屋を出て戻っていった。間もなく戻ってきたが、その時はしっかりと足音も聞こえて、気配も察知できた。先生、絶対抜き足差し足で忍び寄ってきて、しばらく気配消しておれの様子見てたんだと思う。
先生は再びおれの傍にしゃがんで、ぶつけた箇所に傷ができたりしていないか髪の毛を掻き分けて観察してから、そっと柔らかいゲル状の保冷剤の入ったパウチを患部に当ててくれた。おれはその上から手を添えて、先生の方を振り返った。
「読んだの、それ」
おれの手元にあるノートや手帳の切り抜きを先生が指差す。その細く薄い指先をじっと見た。やや深爪気味に切り揃えられ、きれいに磨かれた縦に長い爪には年相応の細かな縦皺が僅かに浮かぶ。ふと間近にある先生の横顔を見ると、普段はそんなに意識せずに済んでいるけど、やはりそれ相応に肌が乾いて細かい皺ができている。先生とおれの間には確実にその分の時間差がある。
この人が通院せざるを得ない病を負ったり、実の親に失恋して傷ついて、家族を殺され、犯され、死の間際助けられたのに記憶をなくして、お医者さんに新しい名前をもらって家に迎えられて、大石先生と出会ってという流転の人生を送っていたその間、15年間、まだおれは存在していなかった。
自分がいなかった頃のこと、先生にとって過ぎ去ってしまったこと、終わってしまったこと、忘れてしまったことを、今更おれが遡って知ったからといって何ができるわけじゃないのに、知りたいと思ってしまうことは強欲で傲慢だと思う。エゴだ。やるなら墓を暴くつもりでやれと言った先生がその行為に傷ついていないわけがないのに、先生がなんとなく許容して強く言わないでいてくれることに、おれは甘えている。
「ごめんなさい、読みました」
思ったとおり、先生は特に咎めることもなく、立ち上がって小さく「ま、いいけどね」と言って部屋の出口に向かった。その背後からおれは呼びかけた。
「先生前に、以前の記憶は記録としてしか知らないって言ってましたよね。このときのこととか、当時の気持ちとかも、本当に全部忘れてしまったんですか」
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