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【2020/05 深度と濃度Ⅱ】⑧

リスキーって、どういう意味で?全然わからない。 「ま、今更おれが違うよって言っても信じてくれなくてもしょうがないけどさ」 違うって、じゃあ、なんで?いよいよ混乱してきた。いつだか小曽川さんが言ってた、あの人感情表現が支離滅裂だから、という言葉が脳裏をよぎる。体はそれに反応するのに、全然集中できない。そんな状況事態が初めてで、余計に自分の中で動揺が広がっていく。 先生がシャワーヘッドをおれの手から奪って水流をおれの顔に向けた。予期せぬ攻撃に視界が奪われ、頭の中にあったものが全て飛ぶ。ずぶ濡れになった頭を振って水気を払い、顔を手で拭って目を開けると、先生は泡立てたバスリリーで体を洗いながら言った。 「長谷、いいですよ~って言った癖に全然うわのそらじゃん。でも、おれ、そういうとこも嫌いじゃないし、いいよ無理しなくて」 シャワーで泡を流し、おれの体についた泡も洗い落とす。使い終わったバスリリーを濯いでシャワーヘッドのラックに引っ掛けて、ボディソープのボトルも棚に戻して片付けて、床に残る泡も壁の隅に水流を当てて隈なく流していく。 「あの…怒って、ないですか?」 「何が?その気にならなかったから?」 おそるおそる頷くと、深く溜息をついて「本当に信じてないんだなあ」と言いながら浴室を出た。後を追って洗面台の前で体を拭く先生に背後から声をかけた。 「…違うって、もしカラダ目当てじゃないとして、だとしたら、じゃあ、なんで誘ったんですか」 腰にタオルを巻いてから汗で湿気ってしまった寝間着を丸めて洗濯機に放り込み、床に脱ぎ落としたままだったおれのバスローブを拾い上げて、おれが袖を通しやすいように開いて差し出した。促されるまま袖を通すと、共布のベルトまで結んでくれた。 「長谷、おれが今まで出会ったことがないタイプだしさ、年も全然離れてるし、面白いかなあって。それに…」 「それに、なんですか?」 言い澱む先生に問い質すと、先生は目線をおれに合わせず、少し俯いてはにかんで言った。 「長谷はかわいいからさ。こういうのはね、そう思わされちゃったほうが負けなんだよ」 そう言うと、足早に廊下に出てさっさとひとり先に戻ってしまった。 それは、おれのこと、好きってことでいいのかな。言質を取りたいけど、追撃したら却って言ってくれなさそうな気もする。 「先生、待って」 追いかけてリビングに行くと、部屋が暗い。そういえば、寝室もリビングも廊下も照明も点けずに玄関まで出たんだった。しかもまた先生は息を潜めて気配を消しているみたいで、何処にいるかわからない。寝室に向かい、乱れたベッドの上をひっくり返して探ってみても姿がない。クローゼットを開けたりカーテンを捲ったりしても潜んでいなかった。 一旦リビングに戻ろうと振り返った瞬間、いきなり飛びかかられておれは驚いて情けない声を出してベッドの上に仰向けにひっくり返った。おれに覆い被さったまま先生は声を上げて大笑いしている。どうやらソファの影に潜んで待ち構えていたらしい。いい大人がなんてことするんだ。 「も~、なんですぐ気配消すんですかぁ…びっくりしたぁ…」 しっかり面食らっていると、先生は腕を立てて体を起こし、上からおれを見下ろして問いかけてきた。 「ねえ、長谷のこと好きだって言ったら、信じてくれる?」 薄闇の中でも先生が別に怒っていないことや、おれを試すために訊いているわけじゃないことは伝わってくる。 「信じますよ、おれのすることなんだかんだ許してくれてるのも、そういうことなんですよね?」 おれの問いかけに先生は答える。 「そうだよ。だから、信じてくれるなら、おれから直接話しておきたいんだ。事件のことも、さっきみたいなフラッシュバックのとき、何が見えているのかも」

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