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【2020/05 深度と濃度Ⅱ】⑨

思わずおれは勢いをつけて起き上がる。 「それって、今話してくれるんですか!?」 先生はその勢いに負けてベッドから転がり落ちてソファの背に頭を打った。しまった。 「落ち着けよ、追々だよ。とりあえず寝直すさ」 おれが助け起こすまでもなく、先生は後頭部を撫でながら起き上がってベッドに戻ってくる。そして、おれを責めることもなく自分が寝ていたマットレスの上の布団などを一旦全て床に下ろして、一枚ずつ掛け直して整えてからその中に潜り込んだ。 「今から話してたら朝になっちゃうし、模様替えだって終わらないでしょ」 布団の端をくるりと内側に丸めて、脚で挟んで横臥してこちらを向き、先生が手を伸ばした。先生は、手をつないで眠りたがる。無意識に応じていたけど、最初泊まったときも、さっき眠りに就く時もそうだった。 おれはそっと握って引き寄せ、手の甲に口づけてから「おやすみなさい」と囁いた。先生も小さく「おやすみ」と言って目を閉じ、息をついて眠り始めた。布団を抱えてしがみつくようにして丸くなって口元を埋めて眠っているのとか、手と繋ぎたがるのもそうだけど、やっぱりちょっと子供みたいなところがある。 浴室で楽しそうに泡を立ててたときも、さっき飛びかかってきたときにも思った。なんだか、おうちにいるときの先生は子供みたいだ。明らかに、学校という「社会」にいるときとは違う。 多分先生の親御さんや大石先生は、社会人としての姿も知っているだろうけど、家族としてどちらかというとそういう面の方を長く、多く見ているはずだ。おれもそちら側に入れてもらえたのかもしれない。先生と家族、って思うと、なんかいい。 どう言い表していいかわからないし、うまい例えも浮かばないけど、先生が家族として迎えてくれたと思うとすごく嬉しい。そして、結局カラダ目当てなんて冗談で、先生は先生なりにおれのこと好きだってこと知ったのも、ここが深夜の集合住宅の一室じゃなかったら叫び出したいくらい嬉しい。 好きになった人にも、それどころか自分の親にすら選んでもらえなかったけど、先生は選んでくれた。 大丈夫、おれはやり直せる。望まない就職だったけど、ちゃんとやってこれたし。大石先生だってうまくいくって言ってくれた。大丈夫。 誇らしい幸せな気持ちで目を閉じたその後、おれは眠りが浅かったのか夢を見ていた。 夢の中ではおれの前に子供時代の先生が居て、一生懸命おれに何か話しかけてきた。だけど、音声がない。音は聞こえないのに感触だけははっきりしている。先生がおれの手を握っている。 子供みたいだと思ってたら、夢の中の先生が子供になってしまった…などと思いながら、先生に手を引かれるまま歩いていくと何やらガーデンパーティーのようなことをしているところに辿り着いた。 やはり音声は全くない状態ではあるものの、みんなやけに楽しげにおれたちに話しかけてきて、クラッカーを鳴らしたり紙吹雪を浴びせたりする。何かの祝いの宴のようだった。何のお祝いなんだろう。 よく見ると、おれも、小さい先生も見るからに上質な生地と仕立てのタキシードを着ている。おかしいな、最初はおれはバスローブのままだったし、先生もパジャマ姿だったような気がする。 しかも祝いに来てくれている人はみんな知った顔だ。写真でしか知らない、今は居ないはずの先生の実の親御さんもいる。うちの親もいる。佐藤さんまでいる。教会の先生も、司書さんも。いったいどうなっているんだ。 いや、これは夢だから別に居たっていいし、何が起きたっていいんだけど、でも、今はもう関わりのない過去の人と対面するのは、あの頃のことを思いだすような人が出てくるのは嫌だ。幼い先生は可愛くてもっと見ていたかったけど、意を決して目を覚ました。 目を開けるとすぐ、目の前に先生の顔があって、先生は心配そうにおれの顔を見ていた。

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