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【2020/05 復元】⑨
《第4週 水曜日 朝》
「ごめん、昨日大変だったんだよ。ニュース見てない?帰れなかったからめちゃくちゃ眠い…」
起きるとハルくんからのLINEの通知が出ていた。お母さんからも「昨日ハルくん緊急で救急入って大変だったみたい」と来ていたので、急いで普段自分の意思では滅多に観ないTVをつけてみる。
朝のワイドショーで流れていたのは、四肢を切断された上で生かさず殺さずの状態で街なかの死角に投棄されていたという悍ましい事件だった。どこもその話で持ちきりになっている。そしてその報道の中で、直人さんの組織の名前が出て、幹部の行方を探していることを告げた、ふみのことだ。
ハルくんは救急を専門にする前は形成外科で重度の損傷がある創傷や病気のため切断を余儀なくされた場合の処置を専門にしていて、ピアッシングをおれが頼んだのもそれ故だった。況してや今はERの役職で特任教授という立場だ、こういうことがあったら呼ばれるのは想定内だと思う。
おそらく、飯野さんもこの件で何らかの捜査に入っているからだろうけど、返信はない。既読にもなっていない。長谷だって初めての現場がそんなだとすれば、おれのことなんか気にしている場合じゃないのだろう。頭ではわかってはいるが、なんだろう、妙に胸が苦しい。
緒方先生と小林さんは多摩からこの件で呼ばれてERで切断部位の状態の確認、切断された時間や使用された凶器について精査にあたったそうだ。「本来であればこの件でおれがERに行くべきだったのに、こんな状況になってすみません」と返信する。
それから間もなくして、緒方先生から直接通話着信が入った。
「今、少しいいか?」
「はい、もしかして今からER来いとかそういうアレですか?」
TVの音声をミュートして、字幕を表示して読みながら話す。
「いや、違う。お前、その様子じゃアレも知らないな?地方でこの時期にもう梅雨みたいな前線が居座って長雨で土砂が流出して死傷者が出たんだよ、そこの県が解剖医の数足りてなくてそれでうちに要請が来てんのさ。それで小林さんがそういう現場経験しておきたいと言っていんだけど、災害地に女性を向かわせるのは結構リスク高くて、元々のあの地域のの治安面を考えると更に状況は悪いと思うので難しいんだ。そこでお前だよ。一緒に行ってこい、これは上司命令」
そこまで一気に、おれに有無を言わさぬ勢いで言いつけると緒方先生は喉を鳴らして何やら飲んで息をついた。
「てかさ、お前が常時同伴していれば少なくともつきまといは防げるだろ。何か起きても通報なり何なりできるだろうし。あとお前は小林さんと同室にしてもおかしなことしないから安心なんだよ。多摩で一緒にやってたときなんか性別とか関係なしにまさにバディって感じだったしさ」
「まあ、そりゃあそうですけど」
緒方先生は容赦なく、煮え切らないおれの尻を叩く。そうそう、こんな感じの人なんだよなあ。おれとは全然スタンスが違う。緒方先生はバリバリに体育会系の人だし、長谷もこういうタイプか、もっとボーイズクラブ的な、ホモソーシャル的な悪ノリが好きなタイプ何じゃないかと懸念していたんだよな。実際は全然違ったんだけど。
「てかさ、お前安全確保のため警察につれてこられてそこに籠もらされてるって報告してきてたじゃん。小曽川と家族にはおれが伝えて口止めしとくから、ほとぼりが冷めるまで地方で身を隠しとけよ。仕事以外で出歩く余裕ないだろうけど仕事もせずホテルでグダグダしてるよりはよかろうよ。まさかTVに出てた発砲事件と関係がある人物だとか思わないだろうし。てか、行ったらその分カネになるぞ。一体10万+うちの非常勤の規定の時給出る」
カネ…いや、あるに越したことはないからありがたいけど、おれはもう仕送りのために体売ったりノート売ったりするほど困ってないんですよ。
「行く?行かない?行かねえならこの話自体白紙にするけど、そしたら多分小林さん悲しむと思うよ」
うっ。そんな言い方されたら断りにくいじゃないか。
「…いえ、あの、行きます…詳細ください、準備するんで…」
緒方先生はおれの返事に「おっ、流石。頼りになるねえ~」と言って満足気に笑ってから、通話を切った。おれはスマートフォンをベッドの上に放り、軋む体を引き摺って、チェックアウトして現地に直行する前提で準備を始めた。
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