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第8話
籠から転がり落ちたキュウリを通りすがりに拾ってくれたのが最初だった。
その人は優しそうな人だった。身のこなしもかっこよかった。
バスケ部で、結構人気のある一つ年上の先輩。
憧れてしまった。
その後何か月も陰から見てた。
どうにもならないのは分かっていたけど、好きな気持ちは抑えきれなくなって伝えたくなった。
ちょうどバレンタインデーという一大イベントの時期だった。うわついたまわりの雰囲気に乗せられて、愚かな僕も馬鹿みたいに浮かれていたのだ。
もらってくれるだけで満足だったのに突き返されることもなく「ありがとう」の言葉さえもらえた。
嘘みたいだった。
でも恥ずかしくて、申し訳なくて、自分の行動が恐ろしくなって、すぐにその場を逃げ出してしまった。
そんな夕方、帰り道の電車のホームで。気が付くと僕はたまたま先輩の後ろに立っていた。
どうしよう。わざとじゃないのに、こんな位置にいるなんて。
気づかれるのはなんだか気まずいし。自分から挨拶するなんて出来ないし。今動いたら目立つし。
おどおどしたまま先輩の後姿を眺めていたら、隣りに立っていた友人らしき人物が妙にワクワクしながらバレンタインの話をふった。
「今日チョコレートもらったか」
「まあな」
うれしそうにこたえる先輩。
「うらやましいな。いくつもらったんだよ」
「何人かもらったけど、今年は男からももらったよ」
「マジ?お前すげぇな。男からぁ?誰からだよ」
「園芸部の一年生」
「へー。どんな奴?」
「眼鏡かけてる。コロコロしたちびデブだよ」
先輩の口から酷い言葉が転がり出た。
『ちびデブ』
ショックだった。
人からチョコレートをもらっておいて、くれた相手をそんな風に言う人なんだ。人の身体的欠点をあげつらうなんて最低だ。そんな人に惚れるなんて僕はまったく人を見る目がないや。
チョコレートを渡したあの場で振られれば、そのほうがまだすっきりしたのに……。嫌なら受け取らないでくれればよかったのに……。
なんで「ありがとう」なんて言ってくれたんだろう。絶対ないって分かってるのに無謀な期待しちゃったじゃないか。
チョコレートを受け取ってもらった時、ほんわり胸があったかくなって楽しくて幸せだったのに。
こんな僕にだって勇気があるんだって誇らしかったのに。
一気に突き落とされた気がする。
だから僕の恋はその日で終わっていたのだ。
なのに。
一か月後。ホワイトデー。なぜか先輩に呼び出された。
僕は緊張と疑問と不快感とで足が震えていた。
なにか手に持ってる。
バレンタインのお返し?
でもそんなことってある訳ない。
ふざけないで。
後ろの木立に誰かいる。先輩の知り合いかな。あの時駅のホームに一緒にいた友人みたいだ。
その時僕は気づいたんだ。みんなで『ちびデブ』な僕を笑い者にしようとしているんだって。そう分かったから怒りが湧いた。
「受け取れません」
自分でも驚くほど毅然とした声が出た。
先輩の背後にいる誰かにも聞こえるくらいの大声で言った。
負けたくなかった。
笑われたくなかった。
これ以上傷つけられたくなかった。
「なんで」
先輩は驚いた声を出した。なにを今さらと僕は思った。
「バレンタインの日、帰り道の駅のホームで言ってたことを思い出してみればいいんだっ。『ちびデブ』な僕になんでお返しなんて持って来たんですか」
「そ、それは……」
びっくりした顔だった。
悪口を言ってたことを指摘されて見るからに動揺していた。
なんで僕がそんなこと知ってるのか見当もつかないだろうけど、事実は事実なんだから。
「バカにしないでください」
あんな言葉知らないでいたら。もしも本当にただお返しを持ってきてくれたんだったら、僕はコロッと騙されて、死ぬほど喜んでいただろう。そして影で「ちょっとからかっただけなのに本気にしてやがる」「男なんて相手にするか」「『ちびデブ』のくせに身分不相応なんだよ」って、笑われていたんだろう。
泣きたくなかったのにやっぱり涙が出た。
その涙を見られたくなくて僕はその場を走って逃げ出していた。
でも、話はそれで終わらなかったんだ………。
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