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第14話

 陽炎が立つような夏の日差し。利休先輩は花壇にホースで水を撒いていた。  麦わら帽子をかぶった姿が板についている。  俺は微笑ましい気持ちでその後姿を見守っていた。  小柄だがぽっちゃりした背中を撫でさすりたい。頭をポンポンと叩いてあげたい。ふっくらとした手と手をつなぎたい。  よこしまな視線を感じてか先輩は振り返る。そしてはにかんだ笑顔を見せた。  ふわりとホースを動かしていたずらに天高く向ける。パッと飛び散った水しぶきのきらめきの元、小さな虹が見えた気がした。  俺たちは園芸部の活動に力を入れている。初心者の俺には知らない事ばかりだが、先輩は穏やかで気が長いのか、のんびりとした空気で俺を包んでくれた。不器用な俺にも分かるように優しく指導してくれて、ありがたい。  ちょっと面倒だしやたら土で汚れるが、やってみれば園芸というのはたいそう面白かった。  先輩と俺だけの時間が確保出来るのもありがたい。  夏休みなので生徒の姿は限られていて、部室に入ってしまえば二人っきりのパラダイスだ。  あの日、熱いキスをしてめでたく俺たちは恋人同士になった。  俺としてはそのまま行為を先に進めたいところだったが、もう先輩がいっぱいいっぱいだったので、無理強いは出来なかった。  その気になっていた股間をなだめるのが大変だったが、俺は先輩を傷つけたり泣かせたりはしたくなかったのだ。  だから唾を飲んで我慢した。  あと、男同士のSEXのなんたるかを調べておきたい気もしていた。やっぱ準備が必要だろうしコツもあるだろう。かといって他で練習することも出来ない繊細な案件だ。  事を急いで強行に挿入したら切れちまいそうだし。  体格に比例するもんじゃないが、俺のチンポは結構でかい。  長くて太い。  うまく入るだろうかと今から心配している。  なによりも、先輩の凍った心を溶かしてしまわなければその行為にはたどり着けないと思うのだった。  なにしろ人が怖くて野菜に走った人なのだから、その点ちょっとばかし普通じゃない。  だから難攻不落といえるのだ。  それでもほぼ毎日キスはさせてもらっている。  互いの存在を確かめるキス。唐突に盗むキス。目蓋にキス。頬にキス。髪にキス。「キスして」って言わせてからのキス。  最初は恥ずかしがって、恐縮して、委縮して、逃げ回っていた先輩だったが、だんだん慣れてきてくれた。  昨日は耳たぶへのキスも受け入れてくれて、関係性が深くなって行く実感がうれしい。  そんなことばかり考えている不埒な俺に、邪気のない顔で先輩は説明する。 「このキュウリは祖母のところから苗を分けてもらったんだ。品種は『いぼ美人』って言うんだよ」 『いぼ美人』。  かなり衝撃的なネーミングに俺は眼が点になる。  突っ込みを考えているうちに先輩の話は先に進んだ。 「キュウリは真っすぐがいいっていうけど、あんまり味には関係ないんじゃないかって僕は思ってる。新鮮なキュウリの見分け方はやっぱりイボがトゲトゲしてるってことかな」  優しい眼でキュウリたちを眺めて先を続ける。 「冷やしてそのままかじるの美味しいよね。はちみつかけて食べるとメロンみたいだなんていう人もいるけど」  そう言って笑った。俺はハハハと力の抜けた笑いを返す。 「ナスの皮の色はね、ナスニンっていう色素で出来てるんだ。この成分は他の野菜にはないんだよ。僕は焼きナスが好きだから皮を焼いて剝いちゃうんだけど、ポリフェノールの一種で抗酸化作用があるから、皮も食べたほうがいいんだって。キュウリと同じでトゲトゲがしっかりしてるほうが新鮮な印だよ」  そしてナスのがくの付け根を丁寧にカットした。 「地域によって種類も様々で九州のナスは凄く長くて大きいんだ。見たらきっとびっくりするよ」  手に持っているのは普通サイズのすんなりしたナスだった。話のようなボリューム感はないけれど、それでもふっくらとしていて十分に美味しそうだ。  園芸部の部室には冷蔵庫や卓上ガスコンロが完備されている。採れたての新鮮野菜を焼いたり煮たりして食べられるのだ。もちろんそのままでも美味しい。先日食べたトマトは冷たく冷やして最高だった。 「部室に戻ったらさっそく食べてみようね」  とても機嫌がいいらしく先輩は饒舌だ。 「先輩、なんか今日おしゃべりだけど、いいことでもあったんですか」 「いいこと?」 「はい」 「特に思い当たらないけど……。いいことか……。そうだね、君と一緒にいられてるってことかな」  こういう台詞を素で言ってしまえるところが小悪魔なのだ。  俺は胸を押さえて前のめりになる。  キューピッドの矢は俺の心臓を突き抜けていた。 「那須くん?」 「……早く部室に戻りましょう」 「どうしたの?」 「先輩にキスしたいから」  収穫された野菜の籠を抱えあげて催促をする。  キスはここじゃ出来ない。部室に戻りたい。  利休先輩は恥ずかしそうに頬を染めてその場に佇んだ。 「……那須くんってば、妙なとこでスイッチが入るよね」 「すんません。先輩があんまりかわいいこと言うから」 「僕のせい?」 「そうです。責任取ってください」  出来ればヒートアップした股間の責任も取って欲しいけど、受け入れてくれるのはまだまだ先だろう。でも今日はボディタッチくらいは許して欲しい。 「先輩、早く……。でないとこの場で奪っちゃいますよ」  麦わら帽子の陰のキスも乙なものだ。  俺は顔を傾けて利休先輩の顔に近づける。まさか本当にする気はなかったが、脅しは覿面だった。 「わ、分かったよ。部室に戻ろう。……僕も、君に……キスして欲しいから……」  そして上目遣い。  うわっ。  鼻血吹くかと思った。  ああやっぱり、この人は天使で小悪魔だ。  俺はすでにノックアウトされるのが楽しくなってる。焦らされるのにももう慣れた。  わざとではなく天然なのは分かっているが、そこがかえって罪深い。  キスから先に進みたいのにじっと我慢している自分は、実はマゾなんじゃないかと思わないでもない。  俺は、先輩に比較的軽い野菜籠のほうを渡し、自分は作業に使った道具たちを一手に引き受けた。  ホースは後でしまいましょうと言って、先輩を急かす。 「もう。那須くんてばせっかちなんだから」  赤い顔になって非難しながらも、先輩は俺の後に続いてくれた。  浮かれた俺の足は妙に速足で子供みたいだ。 「待ってよ、那須くん」  手が空いてたなら掴んで引っ張っていきたいくらいのウキウキした気分。  振り返って見た先輩の顔が火照って赤い。  夏の暑さのせいだけじゃない。  俺だって赤い顔をしてるのに違いなかった。  俺は、先輩のことを考えるとあっさり欲情してしまう。だから先輩にも俺に欲情して欲しいと切望する。  恋人同士なのにエッチが出来ないなんて生殺しだ。  利休先輩の人間に対する怯えがはやく払拭されますように。辛い記憶がかき消えますように。  俺は心の底から祈っていた。  

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