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第28話
夏休みなので職員室も人気が少なかった。
俺は壁際の机に向かう。
「大葉先生。野菜持ってきましたー」
たくさんのナスとニンジンとを乗せた籠を自慢げに差し出した。
「おう。こりゃあ豊作だな」
なにか読んでいた顔が上を向き、機嫌よく迎え入れてくれる。
体育教師らしく、着ているのはジャージの上下だった。色はあずき色で渋すぎるいで立ちだが、それがぴったり合っている。髪の生え際に少し白髪が見えた。
大葉先生は俺の傍らにちらりと視線をやり、眼を開く。
「諸永はどうした」
「あ、ちょっと寄るとこがあるって言ってました」
さりげなく胡麻化す。
別に嘘ではないしいいだろう。
先輩はいま涙を流した顔を洗面所で洗っている最中だった。先に行ってと促されたのだ。男には自分一人で心の問題を解決したいときがあるものだ。
「なあ、那須。なんでお前園芸部に入ったんだ」
「なんでって」
「どう見たってお前は体育会系だろう」
確かにそうだろう。
利休先輩に会わなかったら俺は園芸部には入らなかった。
「園芸楽しいんで」
「ほんとか」
訝しむ瞳にひらりと心配げな色が浮かぶ。
「ほんとですよ。なんでですか」
「いや。諸永は……あいつは、少し目が離せないというか……」
言葉を濁すので俺は察した。
先生はいじめのことをかなり深く知っていると思う。
花壇が荒らされた事件は顧問である大葉先生にも報告が入ったはずだ。利休先輩の担任ではないが、身近な監督者として色々細かい経緯も知っていそうだった。
「なに心配してるんですか。俺が先輩をいじめるとでも思ってるんですか」
眼を細めて威嚇する。
声が冷たくなっていた。
「那須、そうじゃない。落ち着いてくれ」
変な方向に突っ走りそうな俺を、先生は年長の教育者らしく寛容に諭す。
「俺その話は知ってます。過去に辛い目にあったって、利休先輩本人から教えてもらいましたから」
「あいつが自分から話したのか」
眼を開き驚いたように言った。
「お前には話せたのか……」
そうかそうかと小刻みに頷いている。
「諸永も少しは気が楽になって立ち直って来たのかな」
どうやら先輩のことをとても心配してくれているようだった。
けれど俺は憤っており不満をぶつける。
「学校側はその時なんにもしてくれなかったんですか」
「………ほんとうに申し訳ない。学校はことなかれ主義だからな。俺も意見はしたが結局穏便に済ますことになったんだ。いじめをした生徒は二週間の停学処分になった」
「二週間?」
たったそれだけか。
「学校側はどこまでいじめの内容を把握してたんですか」
「被害者である諸永がほとんど口をきかなくてな。加害者ものらりくらりで……」
「謝罪はあったんですか」
「もちろん反省しているとの言葉はあった。もう二度といじめなどしないと約束させた」
「………」
「話し合いの結果、本人も両親もあまり蒸し返さないで欲しいってことでな。そこに学校側がのうのうと便乗して、うまいこと片づけた形だ。情けないよな。俺も比較的身近にいながら何もできずに申し訳ないと思ってる」
苦い表情で続け眉を顰めた。
「大人って卑怯なんですね」
俺の冷淡なひとことに先生は虚を突かれたような顔をした。いや、むしろくやしそうな顔なのかもしれない。自分の無力を後悔しているのだろう。
「すまない」
「え、あぁ……」
再度謝る先生に俺は焦る。そんなつもりではなかった。
それに謝るのは俺にじゃない、利休先輩にだ。
「こちらこそ失礼を言ってすいませんでしたっ」
俺も先生に謝った。
先生を責めてもしょうがない。
それに、事件に関わることが出来なかった部外者の俺は、過去に遡ってとやかく言える立場ではなかった。
青臭い俺の意見を受け止めて大葉先生は頭を下げてくれる。
悪い先生ではないのだろう。
説明は続いた。
「主要の三人には対面で謝罪をさせようとしたんだが、諸永が嫌がってな」
当たり前だろう。顔も見たくないに決まっている。
それに他にもいじめに準じた人間がいるのだろう。傍観していた人間も許しがたい。
「那須。お前は諸永に信用されているらしいな。俺の立場でこんなこと言うのも勝手だが、園芸部、これからふたりで仲良くやっていってくれ。そうして出来ることならあいつを助けてやってくれ」
そして『お前のほうが下級生なのにこんなことを頼むのはおかしいな』と笑う。
しかし俺にとってはおかしくはなかった。
「当たり前です。先輩とは仲良くします。守りますよ」
そして大事なことをさりげなく付け足した。
「俺、先輩の恋人ですから」
「へ」
気の抜けた声が目の前で漏れた。
唐突な告白に驚いたのだ。
その内容自体が衝撃的ですんなり頭に入らなかったのかもしれない。
ぽかんと口を開けている。
俺は大葉先生を睨みつけるようにして見降ろしていた。
「……そうか。そうなのか」
先生は顎を手で撫でて噛みしめるように言う。
それから腕を組み、感慨深そうに頭を振った。
「あいつは元からおとなしくてな。事件以来ますますおどおどして、見ててかわいそうでな。酷いことをされたからみんなを信頼出来なくなったんだな。しょんぼり一人でいることが多くて、心配してたんだ。何にせよ、心を許せる相手が出来て良かったよ。最近は笑顔も見られるし、嫌なことを忘れて落ち着いて来た感じだ。いじめのことを自分から話すなんて、お前はよほど信頼されてるんだな」
そして茶目っ気を見せて顔をくしゃっとさせる。
「お前と諸永がなぁ……。そうかそうか。俺はそういうのに偏見はないぞ。人間が誰かを求めるのは当たり前で大事なことだからな。愛し合うのは大切なことだ。その相手が誰だって素晴らしいことだ。お前たちがそういう関係だというなら、俺は見守るぞ」
勢いをつけてバシッと二の腕をはたかれる。叱咤激励のつもりらしい。
「痛いっす」
体育教師の馬鹿力は侮れない。俺は手ではたかれたところをさすった。
「頼んだぞ」
見つめる先生の瞳の中に真摯な光がある。
俺も真剣に受け止めた。
「頼まれましたっ」
俺は気合を表して右手をびしっとあげ、警察官さながらに敬礼して見せる。決してふざけている訳ではない。
もちろん俺は頼まれなくてもはなから先輩を守るつもりでいたのだし……。
そこで背後から声がかかった。
「どうしたの、那須くん」
直立不動の俺の態度にいぶかしんでいる様子だ。
「いや、なんでもないっす」
俺は急いで手をおろす。
先輩はいつもの柔和な笑みを見せている。
よかった。元気になってる。
ようやくやって来た俺の恋人はさっぱりとした表情をしていた。
先輩が持ってきたもう一つの籠にはキュウリがこんもりと乗っている。
「おお、こんなに悪いな」
嬉しそうに受け取って、大葉先生は自分の息子を見るような眼で利休先輩を見つめた。
俺が持っていない大人の包容力。
先輩もなついているのか今日は比較的おしゃべりだ。
野菜のことや、二学期からの勧誘のビラの草稿や活動の見直しについて話している。楽しそうで安心した。
先生はさっき俺から俺らが恋人同士であるという衝撃の告白を受けていたが、先輩の前では、その点について何事もなかったかのように接している。
分別のある大人らしい対応だった。
俺がそんなことを言ったと知ったら利休先輩がパニックを起こすに決まっているからだ。
大葉先生はちゃんと先輩を慮っているのだ。
俺は感情のままに俺らの関係を語ってしまったが、やはり考えなしだった。相手が違えばどうなっていたか分からない。
先生の口が堅そうなのはありがたかった。
そんなことを考えながら、朗らかに語り合う二人を俺は黙って見守っている。
先輩が幸せそうに笑っているのが俺は好きだ。この笑顔が絶えないように俺は先輩を守って行くのだ。改めてそう強く心に誓うのだった。
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