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第39話

 どうしてこういう状況になっているのだろう。  放課後の部室には俺と利休先輩のほかにもう一人の人物がいた。  噂の渦中の留学生だ。  昼休みに先輩を迎えに二年一組に行った時、教室の後ろに大きな人の輪が出来ていた。その中心で燦然と光り輝く長身の男。それがイギリスからの留学生だった。  事前情報通りの綺麗な金髪。冷たい湖のような青い瞳。鼻筋の通った美男だ。  背も高い。俺と張るくらいの身長だ。  みんなの興味はそいつに集中し、おかげで利休先輩はその分気楽に過ごせたのだった。その点は感謝する必要がある。しかし妙に馴れ馴れしいのは気に入らない。  園芸部の扉を勝手に開けて開口一番そいつは言った。 「モロナガさん。園芸部部長のモロナガリキュウさん。こんにちは」 「はい、こんにちは」  怯えたように先輩はぴょんとその場で飛び上がった。 「利休さんと呼んでいいですか」 「え、は、はい」 「利休さん。私はキャメロット・剛・赤沢と申します」  キャメロット。  キャロット。  今度はニンジンか。  俺は思わず口の端で笑ってしまった。  それをちらっと見て留学生は不愉快そうな顔になる。  名前を笑った訳ではないのだが、いや、笑ったのか。それを失礼に思われたらしい。  悪い印象を持たれたかもしれない。  留学生は俺を無視して利休先輩のほうを見た。 「私は園芸に興味があるんです」  キャメロットはなかなか流暢な日本語で話し出す。 「日本の庭園はどれもビューティフルなものばかり。日本には過去に五回バカンスに訪れていまして、日本三大庭園も鑑賞しています。京都の庭などはほんとうにマーベラスです。借景を用いた庭など一日見ていても飽きません」 「はあ…」  熱意と勢いにまかれて先輩も押され気味だ。 「もちろんイギリスの庭園も自然との調和を表していて素晴らしいんですよ。ローズガーデンなど、季節によって沢山のさまざまな種類の花が楽しめます。オールドローズやバンクシアローズで飾り立てるのもプリティです。他にはトピアリーも手の込んだものがあります」  なんだか英語と専門用語ばかりで話が分からない。俺は先輩に顔を向けて説明を求めた。 「トピアリーってなんすか」 「んっとね。よくテーマパークとかにある植栽でキャラクターの形を作ったりしたもの、って言うと分かり易いかな」 「しょくさい?」 「うん、つまり植木でね」  どうやら俺たちの園芸とそいつの言う園芸は中身がだいぶ違うようだった。  冷たいアイスブルーの瞳が俺を見る。小さくふんと鼻を鳴らした。む、むかつく。 「君はそのくらいのことも知らないで園芸部員をやっているのかい」  高慢さを感じさせる口調だった。どうも俺と先輩とでは向ける態度が違うようだ。 「うるせえ、俺は野菜専門だっ」 「口の利き方がなってないな。ルードゥ……失礼な人間だ」 「なにをっ」 「待って」  ハラハラしていた先輩が間に入って諫めてくれる。 「二人ともそんな風にぶつからないでよ」  そして俺のほうが諭されてしまった。 「那須くんのほうがキャロットくんより下級生なんだから、言葉遣いには気をつけようね」  にっこりと笑ってやさしくたしなめられては、俺は反論できない。 「すいません」  頭をかきかき謝った。  しかしひとつ引っかかったことが……。  先輩間違ってますよ。キャロットじゃなくてキャメロットです。  先輩は俺の顔から視線をずらすと転校生の顔をまっすぐ見つめて言った。 「キャロットくん、ごめんなさい。でも那須くんは口は悪いけどいい人なんです。許してあげてね」  ああ、俺の代わりに利休先輩に謝らせてしまった。ごめんなさい。  反省して俺は大きな体を小さく縮めた。 「キャメロットです。以後お見知りおきを」  慇懃無礼に腰をかがめ、そいつは騎士のような態度で名前の訂正を促す。利休先輩は慌ててそれを受け入れた。 「あ、キャメロットくんだったよね。ごめんなさい」  ぴょこんと頭を下げて急いで話題を進める。 「キャメロットくん、園芸好きなんですね」  ちょっと汗を浮かべながら、先輩は一生懸命言葉を押し出した。  おもてなしの精神で必死に国際親善をはかっている。 「イギリス庭園も素晴らしいですよね。つる薔薇で作ったアーチなんて素敵です。あれは額縁を表現しているんでしょ」 「ほう、良く分かってますね」 「庭って芸術ですよね。庭園散歩って高級な趣味だと思います。散策路にあずまやを配してそこで休めたりして、そこからの眺めも計算しつくされていて……。日本の庭園とイギリス庭園にも共通点があると思うんです。なかなか面白いですよね」 「アズマヤ?」 「ああ、それは確か英語で『ガゼボ』って言うんだっけかな」 「おお。分かりました。あなたとは話が合うようだ。ぜひ二人で庭の散策に行きましょう。と言いたいところだけどこの学校には大した庭がありません」  そしてちょっと怖い顔をした。 「日本の学校に来ることになって楽しみにしていたのに。なんですか、この殺風景な景色はっ」 「………」  利休先輩が唸った。  憤るキャメロットを、両手を上げて制している。  制するなら餌のニンジンじゃなくて馬だろうと思いながら、俺は二人の様子を見守った。  キャメロットはあまり悪意のある人間には見えない。正直で真っすぐそうだ。先輩に害を加えるタイプの人間とは思えなかった。  多少園芸オタクだがその点では先輩も同じようなもんだし、話が通じるようで、うまくしたら先輩と友好関係を築けるかもしれない。  いじめのせいで先輩は引っ込み思案になっているが、新たな刺激でもっと心を開けるようになるかもしれない。  俺は期待する。  俺たちだけのラブラブな空間に邪魔者が入るのは嫌だったが、先輩の再生については後押しを惜しまない覚悟だった。  目の前では、困った先輩が自身に向けるように語っている。 「学校の植木は美観とかじゃないからなぁ。なんて言うかただの囲いなんだよね」  学校の敷地内の植木は四角く細長く刈り込まれて、壁の役割を果たしているものが多かった。無味乾燥というのだろうか。足元の植木も敷地の区分けのようなものが大半だ。  確かにこれでは見る人が見たら味気ないのかも知れない。 「まったく。手を抜いているとしか思えない」  キャメロットは不機嫌に言い捨てる。 「それはね。学校側にあんまりお金をかけるとこじゃないと判断されているからだろうね。でも今だって剪定に年に何十万かはかけてるはずだよ」 「それでこれなんですか。ディプローラァブル!」 「は」  なんて言ったのだろう。多分がっかりしたというような意味だろうけど。 「もっと手をかけるべきです。それと、園芸部の活動も気になります。さっき見てきましたが、なぜ畑仕事だけなんですか」 「それは……」 「それに、こう言っては失礼だがあまりに規模が小さすぎる」 「だって、部員二人だから限度があるし……」 「二人?」 「僕と那須くんだけなんだ」 「え……」  英国色男は愕然とした顔をした。  俺はけん制する。 「悪かったな。二人しかいなくて」 「アンビリーバボー」  うわっ。この単語の意味はさすがに分かるぞ。ホントに失礼な奴だな。 「美しい庭を持つ国なのに学校はあまりにもシンプル過ぎる。これでは学生たちのエモーショナルエデュケーションにも問題があるでしょう。私はこのままにはしておけない。園芸部に入部します」 「へ」  入部ったってお前留学生じゃないか。俺は内心で鋭い突っ込みを入れる。しかし先輩の反応は違っていた。 「入部してくれるの⁉」  歓喜の声が震えている。  そうだ。以前の先輩たちが卒業してからずっと、利休先輩は一人で部活動をしていたのだ。  新入部員は大歓迎なのだった。  純粋に、仲間が増えるのもうれしいのだろう。  先輩は美しい瞳をさらに美しく輝かせている。 「うれしいよ。キャロットくん」 「……」 「あ、いや。先輩、キャメロットですよ」  キャメロットの微妙な顔に、俺はさすがに訂正の手を差し伸べる。 「あ、ごめんね。キャロットくん。いや、キャメロットくん。なんか言いにくくて……」  利休先輩は眉を寄せて少し考える風だった。そして言う。 「ねえ、キャロットくんって読んじゃダメかな?」  先輩の本来の性質らしい甘えたくちぶり。  おねだりする視線。  かわいらしくはにかむ笑顔。  キャメロットの眼がわずかに和らぐ。 「ダメかなぁ」  先輩は意外に押しが強かった。そして圧倒的にかわいかった。逆らえない天性の魅力だ。  しばしの間を置いてキャロットのほうが折れた。 「………かまいませんよ」  エンジェルの懇願にやられて根負けしたらしい。 「じゃあキャロットくん、今日からよろしくね」 「……」  知り合いが増え、部員が増え、先輩は上機嫌だ。  入部と言っても留学生なのだから期間は限られているのだが……。  しかし先輩はいかにもうきうきとした様子で、俺らに向けてとびきりのかわいらしい笑顔を浮かべて見せたのだ。

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