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第40話
キャロットが入部した次の日、園芸部は凄いことになっていた。
キャロット目当ての女子たちが殺到していたのだ。
今まで園芸部に鼻も引っかけなかったくせに、いったいどういう代わり身の速さだ。
園芸部部長である利休先輩は教室でも追い立てられ、放課後部室に来る頃にはすっかり疲れ切って憔悴していた。
普段からおとなしい上に人間不信で引っ込み思案になっていた先輩には、複数人の対応は大変な状況だったろう。
「大丈夫ですか」
「なんとかね……」
手元にあるのは文字通りもみくちゃになった多数の入部届だった。喜ぶかと思いきや、先輩は難しい顔だ。
部員を増やしたいとは思うが今回のような冷やかしは歓迎しない。特にキャロットへのアプローチに利用しようなんて輩は排除したい。
………これに関しては俺も脛に傷持つ身だが、今や立派な園芸部員だ。だからその点についてはさりげなく流しておこう。
それから、キャロット本人もこの騒ぎにはいい顔をしていなかった。
「迷惑をかけてしまって申し訳ないな」
という訳で俺たちは策を練った。
部室に入部希望者みんなを集める。けっこうはみ出すほど人がたかって盛況だが、待ち焦がれる真実の入部希望者ではないので残念だ。
まずは興味本位の入部は歓迎しない旨をはっきり告げた。
それから兼部は禁止。これで半分の人間はしぶしぶ去って行った。
それでも残った女の子たちは熱い視線でキャロットを見つめている。眼にハートマークが宿っていた。
俺はキャロットにこそこそと告げる。
「ちやほやされるのうれしいか」
「周りが勝手にちやほやするんだ。ナチュラルバーチュー、人徳ってやつかな」
自分で自分を褒めるナルシストめ。
そしてキャロットは可憐なウインクまで決めて見せた。
それはからかい半分で俺に向けられたものだったのに、女の子たちのほうがふわっとなる。凄い効果だ。
入ってまだ二日目のくせに、キャロットは俺たちを置いて華麗に取り仕切っている。キャラクターのせいか、器用なのか、会話上手なのか、別に恨まれることもなくこなしていた。
さりげなく、しかし重大な告白がなされる。
「こんな風に言うと嫌味な感じだが……。入部希望の中には私を慕ってくれている人がいるようだ。うれしいことだがそれは少しやり方が違っていると思う。園芸部に失礼だよ。それに……」
そこで印象的なタメを作って先を続けた。
「私にはいいなずけがイギリスにいる」
不埒で浮ついた女の子たちは、キャロット本人の言葉でバッサリと切り捨てられる。
「家同士で約束を交わしたフィアンセだ」
ということは愛情はないのかも、期待できるかも、この場だけの嘘ではないか、と、それでも園芸部に入部したい根性のある女子が残った。
俺自身唐突な話にちょっと面食らう。ホントの話だろうか。その場しのぎの嘘では?
園芸部に入る人間を選定するための適当な言い訳ではないのか。
追いかけまわされるのに辟易して、過熱気味の好意に水を差し距離を取らせる作戦かなにかか。
キャロットの思惑は分からない。
そして俺の中にもひとつの思惑があった。
もちろんこの状況は歓迎できない。
根本的に冷やかしはこめんだ。
そして大切なポイント。
園芸部は俺と先輩の聖域なのだ。
なんの導きか突然一人増えてしまったけれど……。
それでも居心地のいい、園芸に真摯に向き合う仲間たちの集う空間に変わりはなかった。
遊び半分やキャロット目当ての人間は入れたくない。
そしてなにより先輩の心の安定に重きをおきたかった。つまり、いじめにかかわったり、容認したり見ていたりした人間には、園芸部に入部して欲しくないのだ。先輩に近づいて欲しくない。
先輩を守るためなら俺は卑怯者にだってなれる。そんな奴らに園芸部に入る資格はない。それが女の子でもだ。
最後に残ったのは三人の女の子だった。
一人は一途にキャロットの顔を見つめている。
二人組のほうは部室の奥のほうを見てなにかクスクスと笑っていた。利休先輩のほうだ。
入部届には二年一組とある。同じクラスだった。
俺は利休先輩を振り返った。
顔を背けている。
不愉快そうというより恐れている様子だった。
なにかあったのかもしれない。
俺は手元の入部届に眼を戻した。
「西野さん、川村さん、利休先輩と同じクラスなんですか」
「ええ」
「先輩がいじめられてたこと知ってますか」
突然の俺の質問に部室が凍り付く。
女の子たちは決まずそうに顔を見合わせた。
「那須くん、なに言ってるの」
慌てた先輩が腕を掴んで訴える。
「園芸部に入る資格があるかどうか見極めてるんです。これに関しちゃ先輩には引っ込んでいて欲しい。俺が判定しますから」
「入部は最終的には本人の意思が尊重されるんだよ。そんな事情でどうこう出来ないよ」
「知っていて、なにもしないで見ていただけの人はいますか」
俺はさらに突っ込んだ質問を重ねる。
困ったようにおずおずと後ずさるのを、冷ややかな目で見つめた。
「そういう人はお引き取り願います」
自分でもびっくりするくらいの昏い声。
「なによ、それ」
「部活に関係ないじゃない」
いじめがあっても当事者でなければ何も言えないのが普通だ。傍観するだけだろう。ましてや女の子ならなおさらだ。今度は自分がターゲットになる可能性だってある。怖いに決まっている。それは分かっていても俺の気持は収まらなかったのだ。
「すいません」
ひとりの女の子は決まずそうに背を向けて去っていった。どういう意味の『すいません』だったのだろう。
その様子を見て残りの二人も居心地が悪くなったようだった。ぶつぶつ文句を言いながら去って行く。
結局誰一人残らなかった。
後味の悪い空間に、雰囲気を変えるようなキャロットの明るい声が響く。
「まったく君はやり方がスマートじゃないな。公私混同だ」
「すいません」
「行きすぎだよ、那須くん」
「すいません」
「でも、ありがとう。二人組の彼女たち、僕の画像を見てからかって来た子たちだったから……、またいじられるかと思ったら震えが来てたんだ。追い払ってくれてうれしい。やり方間違ってたかもしれないけど……。僕個人としてはうれしかったよ。部長としてはこういうのいけないんだと思うけど……」
癖なのか親指の爪を噛んで言った。幼気な姿に見ているこっちが痛みを覚える。
「ねえ、那須くん。僕強くなるよ。ちょっとずつだけど、強くなる。約束するよ。頑張るよ」
健気な言いように胸を突かれた。
頑張っている人に『頑張って』なんて簡単に言っちゃいけないんだと思う。
利休先輩はもういっぱいいっぱいだった。
「急がないでいいですよ。俺が見守りますから」
俺はなけなしの包容力を発揮して先輩の肩を優しく摩った。
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