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第42話
次の日。俺はある物を持って登校した。
先輩の気をひくための小道具だ。
俺には大切な品だった。
「今日は先輩に俺の大切な友達を合わせたくて……」
サブバックから俺が取り出したのは、ピンクがかわいいフカフカプニプニのコブタのぬいぐるみだった。
大きさは身長18cmほど。胴回りがプルンと丸い。時を経て薄くなったピンクはいい味になっていた。
持っている手のひらからも幸せが伝わってくる感じがする。
「プータって言うんです。小さいころの親友で、最近ガレージから引っ張り出して俺の枕元に大切に置いてるんです。いい年してちょっと恥ずかしいけど。ほら、すごく先輩に似てるんですよ。先輩のこと想いながら眠りにつけるし、プータのおかげか先輩が夢にまで出て来ることがあるし。見た感じも、触った感じも、先輩みたいで、大好きなんです」
「僕に似てる?」
「かわいいでしょ」
機嫌よく説明する俺の思惑と現実とは違った。
「かわいい…って、でも、それブタじゃないかっ」
ブタじゃダメなのか。
俺はピンと来なかった。
プータは先輩に似てかわいい。
「僕のことブタだなんて、酷いよ、那須くん。う、ううぅ……」
極まった利休先輩があっさり涙を見せる。
「あーあ。泣かせちゃって。那須くんは愚かだな」
成り行きを見守っていたキャロットが俺を非難した。
「だって飛び切りかわいいじゃないですか。先輩も、プータも」
「それは君の主観だろ」
「誰が見たって先輩もプータもかわいいですよっ」
力説する俺の勢いに、利休先輩の睫毛がパチパチと瞬いた。
「ほんとにそう思ってるの?」
「思ってますよ。世界一かわいいです」
鼻息荒く宣言し、俺はプータを先輩の手に握らせた。
「触ると落ち着くんですよ」
畳みかけるように続ける。
「かわいくて、見てると癒されるんです」
本気の本気だ。
そのうえ先輩ととても似た抱き心地なのだ。
「俺、寝る前に先輩のこと考えながらプータを抱きしめるんです。ちょっとキモイですか。引いてますか」
「………」
利休先輩は涙の跡を手の甲で擦る。
キャロットがすかさずハンカチを取り出した。
そっと開かせた手のひらにそれを握らせる。その如才ない仕草を見ていると、女性に熱狂的にもてるのも納得がいった。フェミニストというやつなのだろう。
やれやれといった風にキャロットは俺のほうを向いた。
「まったく君のやり方はスマートじゃない。そんな力技じゃ恋人に逃げられるぞ」
高慢な視線が俺の顔を射抜く。
馬鹿にされてると分かってくやしく思った。
実際俺は先輩の機嫌を損ねてしまったのだ。
「いくら似てると言っても一般的にブタに似てると言われてうれしい人間は少ないよ」
「いま『いくら似てるとは』って言ったーっ」
プータとハンカチとを放り投げた先輩がその場で地団太を踏む。
いつも余裕たっぷりのキャロットであったが、今回は明らかな失敗と言えた。
「利休すまない」
キャロットにまでブタと似ていると言われた先輩は、ぐっとこぶしを握り締めている。
「申し訳なかった」
重ねて謝罪するのだが先輩はそんなの相手にしない。恨みがましい眼でキャロットと俺を睨んだ。
「どうせ僕は太ってるよ。デブだよ。ブタみたいだよっ」
先輩が大きな声で怒る。
「バカバカバカ。那須くんもキャロットくんも大嫌いだ!」
大嫌い。
ああ、先輩……。
ごめんなさい。
「ごめんなさい、先輩。俺本気でかわいいって思ってて。プータと引き合わせたら仲良くなれると思って……」
しかし利休先輩は聞く耳を持たずに走って部室を去って行った。
「どこ行くんですか」
「ついて来ないでっ」
思いっきり拒否されてしまった。
俺たち二人は愕然とその場に立ち尽くす。
「嫌われた……」
俺は落ち込んでいた。
「私も失敗したよ」
らしくない失態にキャロットもため息だ。
「ま、すぐに取り返して見せるけどね」
どっから来るんだ、その自信は。立ち直りの速さがいっそうらやましい。
不本意だが、俺はその根拠とコツとを聞いてみることにした。
キャロットの言う通り俺は全然スマートじゃない。
くやしいけど、好きな人の気持ちすら把握出来ていない。
独りよがりな発想で恋人を傷つけてしまったのだ。
凄く怒らせてしまった。
こんなことじゃ、先日キャロットに指摘されたとおり、いずれ利休先輩に嫌われてしまう可能性だってある。
「どうしたら先輩に俺の気持が伝わるんだろ」
先輩が放り投げたプータを机の上から拾い上げ、俺は頬ずりをする。キャロットが気色悪いものを見るような眼で俺を見た。
「先輩もプータも凄くかわいいのに」
ぽっちゃりしててプニプニしてて最高の存在なのに。先輩とプータの間に信頼関係が生まれるかと思ったのに。俺の空回りだったのか。
「まず、プータは自分の家だけでかわいがるんだな」
利休先輩の反応からするとそのほうが正しい判断だろう。
「それから『ついて来ないでっ』と言われても追いかけたほうが良かっただろうな」
「なんで今さら言うんだよ」
これから追いかけたって追い付けないじゃないか。
「拒絶されたんだ。しつこく追いかけたらもっと嫌われるだろ」
「そうとも限らない。実は追って来て欲しかったかもしれない」
「そんなややこしい……」
単純な俺にはそういう心の機微がよく分からないのだ。
「恋する者はみな複雑なのさ」
「そういうもんか」
「君はもう少し相手の様子を見ることだな。顔色や目の動き言葉の抑揚……心を表すヒントはいっぱいある」
不思議なことに、先輩との関係修復のレクチャーをキャロットはしてくれる気らしい。
「任せなさい。私は愛の伝道師だからね」
「なんだ、その気持ち悪いのは」
「君に恋愛のなんたるかを教えてあげてもいいと思ってね」
「偉そうだな」
「君のほうが偉そうだ。下級生のくせになんだ、その相変わらずチーキィ……生意気な口調は」
利休先輩の顔を思い出す。仲良くやってねと頼まれていたのだった。それに、確かにあまり態度は良くないかもしれない。曲がりなりにもキャロットは上級生だ。
「……すまない」
そこら辺が妥協点だった。
キャロットも特に怒りはしないで軽く頷いている。
それにしても愛の伝道師ってなんだ。
恋愛について教えてくれるって、なにを。
「お前だって利休先輩を好きだって言ってたじゃないか。敵に塩を送ろうっていうのか」
「好きの意味が違うんだよ。この間は君があんまり必死だからからかっただけだ。私が利休に向けるのはラブじゃなくライクだよ」
「その割にゃ馴れ馴れしいし紛らわしかっただろ」
「君が青くなったりして面白かったんで、ついね」
「わざと煽るだなんて性格悪いな」
「君には現実を教えてあげようと思ってね。同性で愛し合うのはマンガのように簡単じゃない。環境によっては悲劇を生む」
物騒な言いように俺は身構えた。
「私の兄の例がそうだった。男性と恋に落ちて家を出て行った。うちは何百年と続く昔からの名家だ。跡継ぎ問題は大ごとだよ。男同士で愛し合っても子供は得られない。散々もめたのち二人で手に手を取って出奔してしまったんだ」
それは大変なことだったろう。俺は唾を飲んで続く言葉を待つ。
「兄に去られて母が泣き崩れていた姿は今でも忘れられない。自分が育て方を間違ったのだろうかと私に縋って泣いたよ。それを見て私は次男ながらも家を継ごうと決心したのさ」
いつも快活な面立ちに影がさしている。
「今はふたりで楽しくて幸せかもしれない。周りの理解も得られる世の中になっている。同性婚だって出来る。だが長い目で見たら厄介なことも多いだろう。私たちの親の世代ではまだ同性愛は理解しがたいことだ」
キャロットの言う事は重かった。
俺はたしかに思慮が浅いのかもしれない。
そんな問題、まともに考えたこともなかった。
「愛を貫くのは難しいことだよ」
優しい声でやんわりと指摘される。
「でも私は君たちを祝福するよ。君たちの信頼し合う姿を。愛し合い思い合う姿をね。頑張りたまえ」
「キャロット、お前いい奴だな」
俺は感動して言った。
「だから……、少しは尊敬した言葉遣いにして欲しいものだが……」
やれやれとわざとらしいため息をついてからキャロットは爽やかな顔で微笑んだ。
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