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第43話
しばらくして戻って来た利休先輩の顔に涙はなかった。
俺は心からホッとする。
「利休先輩!さっきは失礼なこと言ってすいませんでした!」
俺は立ち上がって深々と頭を下げながら、元体育会系らしい大声で謝った。
文字通り平身低頭の俺を前に先輩は感慨深げな雰囲気で佇む。そして慈悲のこもった口調で言った。
「もういいよ。僕こそ感情的になっちゃって恥ずかしいな。ごめんね」
「いえ、ごめんなさい。俺が悪かったっす。すいませんっ」
「そんなに恐縮しないで。……那須くんはいつもそうやって思いっきり謝ってくれるよね」
そこでくすっと笑う。
あ、機嫌よさそうだ。
俺は少し落ち着いて先輩の顔を覗き込んだ。
「出会った日もそうだったよね。ずっと謝り続けてくれて、それできっといい人なんだなって思ったんだ。眼鏡が壊れてて顔がよく分からなかったけど、声がすっごく大らかで優しかった。だからかなぁ。周りの人とかみんな怖かったのに、那須くんは怖くなかったんだよ」
ああ、そういう風に思ってくれてたのか……。
花のように明るく笑い先輩はまろやかな声で続ける。
「僕こそごめんね。那須くんはもう謝らないでいいんだよ」
「けど俺、先輩を傷つけたでしょ。キャロットにも諭されました。やり方が下手だって」
部室にはキャロットもいるが、俺の謝罪のほうを優先させて後ろに控えて待っていた。
立場や状況を見極められるのはさすがの才能だ。そういうとこが俺には足らない。なんでもすぐ思ったままに動いてしまう。
「俺がいいと思ってても相手がいいと思わないこともあるんだって。おかげで気づきました。先輩は俺の一番大切な人なのに、守らなきゃならない人なのに、俺が傷つけてどうするんだって、反省しました。ごめんなさい」
「もういいよ。謝らないで」
先輩のふくふくしい手が俺の手を優しく握る。
「僕こそごめんね。君の大切なプータをないがしろにして、放り投げて……。プータ傷ついたりしてない?」
机の上に鎮座していたプータを俺は見た。プータもあどけない顔で俺を見上げている。
「あ、大丈夫ですよ」
俺は手を伸ばしてプータを取ると胸の前に抱いた。先輩に挨拶をするようにぴょこんと頭を下げさせる。ひょうきんな動きに利休先輩の顔に笑みが広がった。
「僕プータに嫌われちゃったかな」
小首をかしげて心配する。その様子は子供のようにあどけなくて、かわいくって、俺はたまらなくなった。
プータに対する苦手意識は幸いもうないようだ。
「プータと仲良くしたいよ。さっきはごめんね、プータ」
優しい声で言ってコブタのプータの頭をそっと撫でる。愛くるしいものと愛くるしいものとが織りなす微笑ましい光景。見ていて胸がほんのり温かくなった。
「先輩、眩しいっす」
「え?」
不思議がる先輩の胸元でプータが輝いて見える。
もちろん先輩も天使のように輝いているのだ。
「眩しいっす」
「だからなにが?」
「先輩が眩しくて神々しいです」
「え、やだなぁ」
戸惑ったように、恥ずかしそうに、先輩ははにかむ。
「那須くんたまに変なこと言うよね」
先輩はプータを胸に抱いて俺を見る。
似、似合いすぎる。
「変じゃないですよ。俺にとっては最高に眩しいんです。眩しくて愛しくてたまらないんです」
暑苦しいほどの俺の台詞を受けて、先輩の目元がかすかに赤くなった。
俺は感情を爆発させそうになる。
このままキスになだれ込みそうなムード。
「ストップ!」
背後から鋭い声がかかった。
「二人ともそこらへんにしといてくれないかな」
あ、キャロットいたんだ。
そう言えば謝罪の順番待ちで背後に控えていたのだった。
「あまり無粋な真似はしたくなかったんだけどね。失礼した。利休に謝ってから退散しようと思ってね」
快活に言って先輩に向けてウインクする。
「利休、機嫌が直ったようで良かったよ。私も失礼を言って申し訳なかった。許して欲しい」
「あ、キャロットくん、こっちこそごめんね」
「そんな薔薇色の頬をしてるとつまみ食いしたくなるな……。でも君の用心棒がイライラしてるから、僕はここを離れて少し畑を見て回ってくるよ」
遠慮した風な口を聞いて、けれどキャロットはさりげなく利休先輩の手を取った
手の甲に軽いキスで触れる。
「あー!なにすんだよ、俺の先輩に!」
目の前での不埒な光景に俺はいきり立つ。
キャロットは余裕だ。
「恋人同士だって別の個人なんだよ。『自分の』だなんて簡単に言わないほうがいい。あんまりジェラシーやポゼッシブが強いと嫌われるよ」
相変わらずたまに混じる英語が小憎らしい。そして指摘してくることも的を射ていてなんだかくやしかった。
キャロットが出ていくのを待って俺たちはまた見つめ合う。
「利休先輩すいませんでした」
「いいよ、別に。それに……」
思わせぶりに噤んだ唇。
「那須くんに『俺の』って言われるの、僕はうれしいんだよ」
ああ。
とびきりのエンジェルボイスに俺はやられる。
「キャロットくんの言うように恋人同士でも個人なのは分かってる。依存し過ぎてちゃいけないし、互いにしっかり立ってられる人間じゃなきゃダメだとも思う。那須くんに守られてるばかりじゃダメなのも分かってる……。強くならなきゃ。でも、那須くんに『俺の』って言われるの、特別な感じがしていいなって思う」
恥ずかしそうに「まだまだ僕は弱虫だね」と続けて、黒目がちな瞳で俺を見た。
「那須くんも『僕の』だとうれしいんだけどな」
控えめながらも熱っぽい言葉に俺は激しく何度も頷く。
「利休先輩、俺は利休先輩のものですよ」
「ありがとう、うれしい」
心底うれしそうな微笑はさらに神々しい輝きを放って、俺の眼がくらむほどに眩しかった。
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