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第44話
大葉先生に用事があって利休先輩は職員室に向かっている。
今日は校庭から回って行くと言っていた。
先日大騒ぎだった園芸部入部の件もあり、部員募集について考え直す必要が出て来たのだ。
しかし、ちょっと抜けてる先輩のことだ、肝心の部員募集のチラシを持って行くのを忘れている。それに気づいた俺は急いで後を追った。
部室棟を出て校舎のほうへ向かう。
「もう構わないでよ!」
不意に先輩の声が耳に飛び込んで来た。
俺は急いでそちらに飛び出る。
校舎の端の角を曲がると、先輩と三人の人物とが向かい合って立っていた。
「すぐキャンキャン泣き声あげて、おもしろいよな」
人を嘲る品のない声。
「うるさい。うるさい。うるさいっ」
追い込まれたうさぎが上げるような悲鳴だった。
利休先輩の様子から俺はことを察する。
こいつらだ。先輩をいじめた奴らは。憎むべき奴らは。
俺は深く息を継ぐ。足を大地に踏ん張った。
突然やってきて睨みつけている俺を見て、いじめっ子たちは少しひるんだようだ。
「用心棒を雇ったってのは本当の話だったんだな」
俺をチラチラと見て言う。
小ばかにした口調が腹立たしい。
俺はそいつらと先輩との間に身体をねじ込んだ。
「お前らが利休先輩をいじめてる奴らか」
「過去形にしとけよ。その件は停学食らってもう解決してるんだから」
いかにも悪役といった風情で下品に笑う。それが凄くバカっぽかった。
停学になったことを逆恨みでもしているのだろうか。
「またいじめたらおんなじことだろ」
先輩は俺の脇で震えている。顔色も悪い。ようやく立っているといった感じだ。
俺の顔が強張る。
今以上に先輩を傷つけてはならない。
弱みを見せてはならない。
キャロットの教えを思い出す。
俺の身勝手で利休先輩の立場を悪くしたり、付け入る隙を与えてはならない。
俺は先輩の恋人だということを隠しながらフォローしなければならなかった。
「大げさなんだよな。少し構ってやっただけでいじめだなんだって」
「かわいがってあげたのにな」
頷き合う態度がわざとらしい。
腹が立った。
こいつら全然反省してないじゃないか。
怒りが激しい怒声を引き出す。
「バカ野郎!くだらねぇことやってんじゃねぇ!お前らなんで分かんねぇんだよ。簡単なことだろ。自分が、自分の大切な人間が、傷つけられたら嫌だろ。痛いだろ。辛いだろ。いじめなんかするべきじゃないんだ。お前らみんな頭悪いんじゃねぇかっ」
「なんだと」
口の悪い非難の言葉にそいつらは色めき立った。
来るか。
受けて立つぜ。
俺は胸の前でこぶしを作り、ファイティングポーズを取った。
しかし俺の肘を先輩が掴んで引いて来る。
「待って」
意外なほど強い力だった。
「那須くん下がってて」
決然とした声が俺に示す。
「自分のことだから、頑張るよ」
先輩は一歩前に出るといじめっ子たちに真っ向から対峙した。俺の胸元を手のひらで制する。
俺は動けなくなった。
必死の形相で先輩は言葉を発する。
心を発する。
傷つけられた心から血の混じった声を発した。
「僕はもう君たちに傷つけられない。もう怖れない。僕は強くなった。信頼できる人に知り合えて変わったんだから。大切なことを知って成長したんだから。僕は君たちを軽蔑している。憎んでいる。目の前から消えて欲しい。でも復讐なんて真似はしない。僕は君たちのような下劣な人間に堕ちたくないからだ。君たちがいじめなんて卑劣で愚弄で浅はかな真似をしている時間に、僕は好きな人と楽しくて幸せで有意義な時間を過ごす。勉強して、努力して、夢に近づく。周りのまともな人間はみんなそういう風にして日々を過ごしているんだ。生きてるってそういう事だよ。馬鹿なことにかまけていずれ置いてきぼりにされるのは、人から笑われるのは、君たちのほうだ」
冷静さの中にももの凄く圧のある言葉だった。
いじめられっ子からの強硬な反撃に、さすがに相手も息を飲む。
そしてその時、校舎の窓からこの騒ぎを見つめていた学生たちの中から、ぱちぱちと微かな拍手の音がしたのだ。
ほんの四拍。
すぐに止んでしまったが、それは確かに利休先輩を応援するものだった。
俺は見た。拍手をしたのは園芸部に入部希望だった女子生徒だった。あの時『すいません』と言って帰って行った背中。利休先輩に対して申し訳なさを感じていたのだ。そして今は先輩を応援してくれている。
「偉そうなこと言ってるよな」
「いじめられっ子のくせに。いじめられ体質は変わらないだろ」
こいつら正真正銘のクソだ。
俺は再び先輩の前に立つ。
しかし、先輩の意志を尊重してこぶしの出番は封印した。
いじめをいじめで返すのは、暴力を暴力で解決するのと同じで、間違っている。
それでも、俺のガタイの良さと眼力とは充分に威嚇になったようだった。
ずいと前に出ると奴らは気圧されたように後ろに下がる。
「う、なんだよ」
「殴られる前にしっぽ巻いて逃げろよ」
自分でも知らなかった冷淡さが低い声になる。
先輩のためなら俺はどんな風にでも変われるのだ。
先輩を守るためなら非情になれる。
「目障りだ。とっとと失せやがれ!!」
大声での威嚇にいじめっ子たちは色をなくして踵を返した。
捨て台詞すらないのは、それだけ委縮しているからに違いない。
「………」
緊張の糸が切れたのか、先輩はへなへなとその場に膝からへたり込んだ。窓際の生徒たちからざわつく声が漏れる。
「先輩!」
丸みのある肩に手を置いて、俺は力の入らない身体をしっかりと支えた。
「しっかりしてください」
疲弊してまともに声も出せないようだ。
放心した様子の先輩を助け起こす。
俺はフクフクした身体を両腕に抱き上げた。
太り気味とはいえ先輩くらいの小柄な体躯なら、俺には軽く持ち上げられる。
「部室行きましょうね」
お姫様抱っこだ。
でもさして違和感はないだろう。
先輩は俺の腕の中で声も出さずに泣いている。
俺は部室に向けて足を速めた。
「利休先輩、泣くときまで我慢しないでください」
見っているこっちが辛い。
我慢強いのは美徳だが、我慢しすぎるのは良くない。
先輩の心を癒す存在になりたい、支えになりたいと俺は切実に思っていた。
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