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第45話

 部室に戻るとキャロットが目を丸くした。 「どうしたんだい」  俺は無言で先輩をソファーにおろす。  キャロットは冷蔵庫からお茶を取り出して、先輩の手に持たせた。 「ありがとう……」  やつれた様子を見てそれから俺の顔を見る。なにか言いたげだ。  俺はくしゃっと顔を歪める。それだけでなにかを察したのかキャロットは少し考えこんだ。それから、穏便な顔を作って言った。 「私は用事があったんで今日はもう帰るよ。二人でゆっくりしたまえ」  俺はキャロットに感謝する。  本当は用事などないくせに気を使ってくれているのだ。  学生かばんを手にして愛の伝道師は背中を向ける。 「詳しいことは後で教えてくれ」  そして「鍵はかけておくんだな」と言い置いて出て行った。  この心遣いの繊細さは見習いたいところだ。  俺は扉に鍵をかけてから先輩の横にそっと座る。 「利休先輩」  さっきまで憔悴していた先輩も自分の領域に戻って来て安心出来たみたいだった。頬に少しだけだが赤みが戻って来ている。 「さっき、那須くんが来てくれて……本当に良かった」  はーっと安堵の息を吐く。 「俺も良かったです。先輩一人だったらどうなっていたことか……」 「ほんとだよ。すごく……怖かった」 「先輩が自分で撃退したんですよ。立派な演説でした」 「僕、ほんとはまだ全然強くなれてない。あんなの虚勢だ。怖くて足が震えてたよ。情けないな」 「そんなことないです」  本当に立派だった。先輩は頑張った。強くなった。 「よく頑張りました」  頭を撫でる。 「いまもまだ震えてるよ。なんか寒い」  ぶるっと震える背中に腕をまわして抱いた。 「利休先輩、かっこよかったですよ」  額に唇で触れる。 「惚れ直しました」  いつくしむハグに応えて先輩の手が俺の背にまわった。  ぎゅっとしがみつかれる。 「怖かった」  声が湿っている。  また泣き出してしまうのかと俺は慌てた。 「怖かった、怖かった、怖かった……。」  俺の天使は胸の中で訴える。 「先輩、もう大丈夫ですよ。大丈夫……」 「僕、頑張ったよね。負けてなかったよね」 「はい。立派でした」 「那須くん、お願い。……僕にキスして」  キスで気持ちが落ち着くのならいくらでもしてやる。  俺は先輩の額や頬に癒すキスを与えた。  間近に見る睫毛が震えている。  目尻にキス。  唇にもキス。  抵抗はない。  俺の求めに応じて先輩の唇が薄く開く。  互いの舌が触れ合う。 「…っ、う……っ」  ぴちゃりとエッチな音をさせて俺たちは深いキスを繰り返す。舌を吸う。歯牙を、口蓋を、いやらしく確かめる。  密着した身体の体温が上がって行く。  下腹に炎が灯る。 「利休先輩っ」  俺は少し腰を引いていた。  先輩はきつく抱きついたままで俺を放そうとはしない。 「すいません。こんな時に。不謹慎ですよね」  発情してしまったと白状して身を放そうとするのだが、先輩の声は好意的だった。 「不謹慎でいいよ。僕も不謹慎だから」 「え、先輩も?」  先輩の眼が濡れている。さっきとは違う。悲しいとか、悔しいとか、安堵したとか、そういう激したものではなく、穏やかなくせにどこかねっとりとした彩。  誘ってくれている……? 「僕、那須くんに温めてもらいたいんだ。強く抱きしめて欲しい」  眼をうるうるさせて先輩は言った。  キスから先も求めているのだ。  先輩の腕は俺の背中にまわったままだ。  意志を持った指先が俺の背中でなにかを描く。 「ねえ……なんて書いたのか分かるかな」  ええっと、書くのと読み取るのとは反対だから……。 「もう一回書いてもらえますか」  再び先輩の指が俺の背中でもぞもぞと動いた。 「ああ」  分かるように大きく書いてくれた言葉。  それは先輩の気持ちだ。  カタカナでスキと書いてくれたのだ。  愛されていると思う。求められていると思う。 「うれしいっす」  俺は先輩の身体をソファーに仰向けに寝かせた。腕立て伏せみたいな恰好で手をついて先輩に覆いかぶさる。  多少不安定だがここでしてしまおう。  部室から姿を消したキャロットの気遣いを、ありがたく受け取る。今度なにか驕っておかなければ……。 「いいですか、ここでしても」 「構わないよ。僕は、君にいま抱きしめて欲しいんだ」  先輩の指が俺の頬に触れて来た。  震えている。 「まだ怯えてるんですか」  俺はその手を掴んで聞いた。 「大丈夫。大丈夫だよ……」  自分に言い聞かせるように繰り返す健気な声。大丈夫だと言いながらきつく閉じるまぶた。 「怖かったですね」 「………」 「辛かったですね」 「………」  先輩の浴びた苦痛や屈辱が、触れたところから伝わってくるようだ。  このまま俺が全部を受け止めてやりたい。  浄化してあげたい。 「もう大丈夫ですよ。先輩は強くなりました。もういじめられたりしませんよ」  大手を広げて俺が守るとは言わない。先輩が自分の力で強くなりたいと望んでいるのを、俺は知っているからだ。  過保護がいいとは限らない。  俺はサポートはしてもでしゃばらないことに決めていた。  それが先輩を成長させると思う。  そして俺も、先輩を見守りながら、頼られた時だけ手を貸して行く。  俺は我慢を覚える。迂闊さを失くす。俺なりに強くなり成長していく。そうして先輩に相応しい男になるのだ。  依存し過ぎない関係。でも互いを愛しく思い合う。そういうのが望ましいのではないかと今は思っているのだった。 「先輩。ボタン外しますよ」  シャツのボタンに手をかける。先輩は素直に俺に任せてくれる。 「那須くん……」  怖がっているのだろうか。  もう何度か身体を重ねて来たというのにまだ緊張しているらしく、利休先輩はごくりと唾を飲み込んだ。

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