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第48話

 今日は雨が降っている。だから部活動は中止だ。だが、俺たちはそういう日もいつも園芸部の部室に入り浸っているのだ。  おしゃべりをしたり、宿題をしたり、ゲームをしたり……楽しくて和やかな放課後。  特にキャロットがいるので英語の課題は大助かりだった。  留学生としては、日本では十二月までの学生生活だそうだ。  今はキャロットが園芸部に在籍してくれているがそれはあくまで期間限定なので、まだまだ人を募集しなければならない。目標は最低三人だ。利休先輩と、俺と、あと一人。  以前入部希望の人間を強硬にしのいだせいで、どうも園芸部の印象はよくないらしい。あの時は仕方なかったが、やはり上手なやり方ではなかったと反省している。  あと一人。今年度中に増やさなければならないのだ。廃部にはさせられない。  コンコンとノックの音がした。 「おう、空いてるぞ」  俺の声に一拍遅れて少し扉が開く。 「あの……すいません」  控えめな声が部室の入口からかかった。そいつは細い隙間から顔を出して遠慮深げに言う。 「失礼していいですか?」  前髪が長く目を覆っていた。もっさりとして暗い印象。  迎え入れようとして俺は椅子から立ち上がる。 「なんだ」 「あ、あの、僕」  少し挙動不審な男子生徒。  いや、俺が怯えさせたのか。  尊大な態度はあまり良くない。反省してすぐに言い直した。 「ああ、すまない。なんか用か?」  それでもあんまり変わりはなかったかもしれない。  そいつは息を飲んでから必死に言葉を続けた。 「その……、諸永先輩にお会いしたいんですけど……」  利休先輩に? 「なあに。僕に用事?」  俺の後ろから先輩がぴょこりと顔を出す。  先輩は仕草も声もいつもかわいい。 「は、はい」  男子生徒は固くなったまま突っ立っている。  あ、俺が怖いのか。思いついて身体を脇によけた。  利休先輩が柔らかい声で明るく言う。 「まあ、とにかく中に入ってよ。そんなに緊張してないで」  無邪気なほどの笑みが男子生徒の表情を見る間に和らげた。 「は、はい。失礼します」  先輩は以前より余裕が出て来ている。前はけっこう怯えがちだったけれど、俺やキャロット以外の人間に対してもうまく対応できるようになっていた。  先日の、いじめっ子たちを見事に追い払った件で、自信がついたのかもしれない。 「どうぞ、そこに座って」 「は、はい」  おい、こいつ、なんでもかんでも『は、はい』だな。  マジですげぇ緊張してるのが分かる。  俺が怯えさせたのだろうか。相手によっちゃこの強面と背の高さとが怖がられるらしい。中身はすげぇいい奴なんだが理解されなくて残念だ。  自分の存在が威圧的に見られがちなのを気にして、さらに後ろに下がって成り行きを見守る。  キャロットも部屋の隅でことの行く末を見守っていた。目元が厳しい。  キャロットは利休先輩に対して恋愛感情はないと言っていた。だが先輩の辛い過去を知って先輩を守りたいと思ってくれている。  弟や子供を見守るような気持ちなのかもしれない。  それとも騎士の精神か。  それか無垢な天使を崇拝するようなものかもしれない。  俺とキャロットの懸念の視線を背中に浴びながら、利休先輩は、突然やって来た男子生徒に優しく問いかけている。  幸い攻撃的な人物ではないようだ。むしろおどおどしている。 「君、名前はなんていうの?」 「は、はい。一年一組の白根…白根広大(しらねこうだい)です」  俺は吹き出しそうになる。  今度は大根か。  複雑な気持ちで目の前の二人を見つめた。  口元に笑いがのぼって、そこをキャロットに見咎められる。 「那須、人のことを簡単に笑うな。君はそういうとこがいけないのだよ」 「悪い。わざとじゃないんだ」  的確な指摘だ。  俺は頭を掻いた。  傍らでは利休先輩が白根に一生懸命話しかけている。 「白根くんって呼んでいいかな」  利休先輩の声はいつでもまろやかだ。  癒される。  白根は前髪の隙間からじっと先輩を凝視していた。怖いくらい真剣な顔つき。 「諸永先輩。その……こ、この間、先輩を見ました。校庭の端っこで言い争ってるのを見て……び、びっくりしたけど………」  そこでいったん言いよどんでから、そいつは吐き出すように思い切って言う。 「かっこよかったです!」  利休先輩は驚いて眼をパチパチさせた。 「僕が?」 「はい、色々噂は聞いてて……、あの時あの場に居合わせて……利休先輩の言葉を聞けて……本当に良かったです。すごく頷けるところがあって………か、感動しました」 「感動だなんて……」 「励まされましたっ」  よく見れば、白根の握ったこぶしが震えている。 「僕、今年この学校に入ってからいじめられてて……。あ、いえ、いじられてるって言うかなんていうか……」  少し視線が胡乱になる。誰もいないのに背中を気にしているような態度。なにかに怯えているようだ。 「白根くん」 「僕よりもっと酷い目にあったらしいのに………利休先輩は毅然として、凛々しくて……本当にかっこよかったんです。見ていて僕の胸は震えました」  あの時のことを思い浮かべたのか、白根のほうがうっと涙ぐむ。 「先輩に憧れてます。尊敬してます。お話出来たらいいなって、先輩と一緒に部活動出来たらいいなって……そう思って、今日は思い切ってここに来ました。僕を園芸部に入れてください!」  そこで椅子から立ち上がりバッと頭を下げた。  暑苦しいほどの懇願に先輩も思わず顎を引いている。 「白根くん、園芸部に入部希望なんだね」 「はい」  取り敢えず座ってと促されて大根は再び椅子に座した。 「まず、失礼かもしれないけど……冷やかしは禁止なんだよ。兼部もダメだよ。本気で園芸をやる気があるんだよね。今までになにか育てた経験は?」 「家のベランダでハーブやミニトマトを……。後はサボテンとか観葉植物くらいです。マンションじゃあんまり……」 「そっか。うちは今のところ畑仕事がメインなんだけど大丈夫かな」 「はい。園芸部の畑も見て来ました。色々な野菜があって、世話するのきっと楽しそうだなって思いました」 「けっこう手間がかかるけど、収穫する時は有意義だしうれしいもんだよ。一緒に活動しようか」 「え」 「入部してくれる?」  利休先輩の輝かんばかりの笑顔。脇にいる俺のほうが悩殺される。隣でキャロットも唸った。 「いいんですか。僕こんなに暗くて鈍いのに。いいとこなんて全くなくて、迷惑ばかりかけると思うけど……」 「それはあんまり関係ないんじゃないかなぁ」  おっとりと利休先輩が受ける。 「こつこつやればいいよ。迷惑かけても僕たちがフォローするし、人間なら誰でも人に迷惑かけてるもんだしね。生きてると誰だって誰かに助けてもらってるもんだよ」  いいことを言う。先輩は元から面倒見がよくて優しいのだが、自信がついてさらに寛容になったようだ。  おどおどしている大根の姿に昔の自分を重ねているのかもしれない。 「部活、頑張ろう」 「は、はい」 「それから、僕に憧れてるって言ってくれてありがとう」  光栄だと言わんばかりの笑顔が眩しい。  大根も眼を細めてどこかうっとりとしている。  そして利休先輩は俺たちを振り返った。ガッツポーズで晴れやかに宣言する。 「やったよ。これで園芸部存続だ!」

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