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第5話

5 古き悪魔、宿せし器 「おい、まさか――、それが今もいる、ウィルビーだっていうのか」  何事にもあまり動じないエッドが、今ばかりは絞り出すよう声を出す。横でマーレイがゴクリと緊張の唾を飲み込むのが聞こえた。 「不老不死?」  思い出した。奴が話した〝死ねない呪いの者〟の話を。 「俺だって、そんな大昔のことを実際に見たわけじゃないからな。師匠がその師匠から聞いて、その師匠もまた、ってなくらいの話だ」  ガーランドが話を続ける。 「少年は厳重な監視のもとで養育され、青年と呼べる姿までには成長した。今の、あの姿だな。その後、教団や教会やとさまざまな団体に身柄は渡り歩いたらしいが、なにせ永い時間を生きているので知恵はつくわな。――脱走したんだ、何回も何回も」 「何回も?」 「ああ。そのたびに世界のあちこちを回って、またいろいろな知恵をつけたらしい。魔術に精通したのも独学だそうだ」 「すごい……」 「厄介な話だな、さっさと殺しちまえばいいんじゃねえの」  エッドが事も無げに言い放つが、どうやら器を守る悪魔の力が働くようで、凶器や毒では「死なない」のだという。 「そう何度も逃げられてるって、だらしねえだろ」  と、さらに容赦ない。 「まあ、それに関しては弁明の余地はない。だがな、お前ら、あれに会ったらわかるだろう?」 「?」 「人好きがするというか、人懐こいというか、なんというか、人を油断させる奴なんだ」  確かに、俺らもすんなり奴を信じてしまった。  平凡そうな青年に姿を変えていたとはいえ、あの目の輝き、楽しそうなもの言い、あれが悪魔を身に宿した器だと誰がわかるだろうか。 「あのキャラで見張りを騙しては、あっさり幽閉先を抜け出していたらしい」 「わかる気がする……」  ガーランドが先達から聞いた話では、生まれたホムンクルスに人格を持たせる予定はなかったらしい。悪魔を収めるに都合いい人造人間など、自我や人格がないほうが御し易いはずであり、ただ生きる人形として静かに幽閉し続けていればよかっただろう。今のような個性を持たせれば、その自我が暴走することは目に見えたはずである。 「俺が思うにな、悪魔自身が自分に都合のいい何らかの作用を器に施して、ああいう自我を持たせたんじゃないかと思うんだ」 「共に、長い時間を生きる相棒として、創り上げたと?」 「ん、まあ、そんな風に言えるかもな」  ガーランドはウィルビーに関わってきた長い歳月を見つめるように遠い目をする。 「しかも奴は、逃げるたびに、悪魔の復活を目論んで今回みたいなことを繰り返している」 「やっぱりだらしねえ。教会は、バチカンは、何してんだ」 「バチカンも人を出して協力してくれてはいるんだが、彼らにはどうにもできんのだ。神が人の子を遣わす以前の古き悪魔なのでなあ、彼らの知る詠唱は効かん。我ら魔術師のように、科学とプリミティブな呪力の双方を知る者でないと」 「じゃあ、ディーにかけたルルドの聖水ってのは、フェイクか」 「いや、あの泉なら、原始からのパワーが宿っていたかもしれん」  マーレイは先ほどから、何か考え込んではハッと顔を上げたり、また顎に手を当てて考えたり、目を閉じたり、と百面相に忙しい。 「人ではない者だから、ウィルビーは自分では、その、えーと、……セックスで、自分の中の悪魔を依り代に移行することはできない、ということですよね?」 「まあ、奴に生殖機能がないのは本当だが」  ガーランドは話すのが忌々しい、という表情をした。 「実体のない悪魔が依り代に融合するにはな、細胞や血液や精液などの体液に混ざることで物質化すればいいんだ。だから依り代は、憑いた人物の血か肉片を摂取するのでもいい。奴がセックスと精液を手段としてるのは、単なる悪趣味としか思えん」  マーレイはその辺をさらりと聞き流し、質問を続ける。 「何度も脱走して、悪魔復活を試しているけど、一度もまだ成功してないってことですよね」 「いつも、何とかすんでのところで阻止してきたからな」  「阻止」とは、必ずしもウィルビーを捕らえたという結末ではない。   依り代を隔離することで三回めの結合を防ぎ、その者が亡くなるまで守り通す。あるいは、三回め寸前に、殺す、ということらしい。  いずれにせよ、依り代に選ばれてしまった者は不幸だ。  途中で失敗すると、悪魔はまたウィルビーの中に引き寄せられて戻っていくのだという。  マーレイがぽつりと呟いた。 「悪魔を復活させて、何をしたいのかな」  俺もそれが解せなかった。  成功したら、悪魔憑きになるのは俺だ。強大な力を持つもの俺だ。奴の望みなど聞かず、殺すかもしれない。  俺が殺さずとも、悪魔が抜けただけであいつは死ぬかもしれない。得なことなどあるのだろうか。 「世界征服とか?」 「復讐とか!」 「こんな運命を背負わせた人類に?」 ――楽しんでるのよ、彼。  黙っていたフロゥが突然発言したので、俺は思わず聞き返した。 「え?」 ――遊んでる、と言ったほうが正しいかしら。 「いい線だな」  ガーランドが意味深な笑みを含んで続ける。 「俺は、見習いのとき捕縛任務に参加したことがあってな。奴に会ってるんだ」  数人の魔術師でウィルビーに対していた戦闘中、若き日のガーランドは伏魔の剣を手に奴の間近まで迫った。 〝おとなしく囚われろ!〟 〝馬鹿なの? 幽閉されると知ってて誰がおとなしくするのさ〟 〝お前こそ馬鹿だ。叶いもしない悪魔の復活など、なぜ繰り返す!〟 〝ん? 退屈だからさ〟 「と、にっこり笑いやがったよ」  誰もがその笑みを思い浮かべて、暗澹たる気持ちになった。 ――私、ちょっとだけ、わかる気もするの。  エッド以外みな、フロゥの言葉に耳を傾けた。 ――私だってほら、明日にも消えるかもしれないけど、大好きな人たちが死んで独りになっても、ずっとずっとこのままかもしれない。永遠を過ごすのは、きっと想像以上の……狂気よ。 「だからって、悪魔を復活させていいって話じゃないよ」  マーレイが怒りをにじませた表情で言った。 ――そうね。  フロゥが寂しそうに続ける。 ――でも、自分が確かに在ると実感するために、何かをやろうとする気持ちはわかるの。悪いことは、もちろん、いけないんだけどね。  俺たちは、それを肯定する言葉も、否定する言葉も持たなかった。  その夜は、これ以上ないほどの緊張感で三度めの真夜中を迎えた。今にも頭の血管が二、三本切れてもおかしくないマックス状態。  しかしそんな俺たちを嘲笑うかのように、時計が一時になっても、三時を迎えても、白々と夜が明けても――  何も起こらなかった。  真夜中に訪れる、という小芝居は、もう必要ないらしい。 「奴も計算外の戦闘で疲弊しているんだろう」  ならば、少しでも早いうちに俺たちが動こう。  そう決めた、早朝。  人の気配に気づいて窓から見下ろすと、マーレイの館の前に、一人また一人と、怪しげな男たちが集い始めた。総勢、十二人。  ディーの情報屋やエッドの手下とは違う意味で怪しい彼らは、ガーランドの同業者、魔術師たちだった。彼らもウィルビーの結界で緊縛されていたのがようやく解け(最初に解いたガーランドは凄い能力者であるらしい)、ロンドンのあちこちから集結したのだ。  怪しげといっても、服装はごく普通の紳士や淑女や若者だ。  それでも纏う雰囲気が明らかに違うと感じるのは、俺の持つ霊力ってやつと、いま体内に入るヤツの影響のせいかもしれない。  彼らは、マーレイが例の手紙を受け取って事が始まるずっと前からウィルビー探しを始めていた。  いまや世界最大の人口を持つ大都市ロンドンといえど、エッドたちのような裏世界の人間にも知られず、神や精霊を相手にしている連中にまでも気づかれずに、身を隠すことなどできるはずがない。しかし、ウィルビーは見事に隠れおおせている。――どこだ、そんな場所は。 「異空間に潜んでいるんじゃないですか?」 「いや、奴の能力ではそう長い時間は留まれない。魔術師の素質を持って生まれた者と違って、奴のは学んで得た後付けの力なんだ」 「ある意味、そっちのほうがすごいよな」 「でもガーランドさんや魔術師さんたちを結界で動けないようにしていたくらいの力はあるわけでしょう?」 「まあ、それに関しては何度も言うが、面目ない」  マーレイの館に全員が入り、大きなダイニングテーブルに就いて話し合う。しかし、全員にとってすでに「ウィルビーがどこにいるか」は問題ではない。今、最優先なのは……そう、「俺をどこに隠すか」、いや、もっと正確に言うなら、「俺を囮にしてどこで奴を待つか」だ。 「お前さんのいるところに現れるのは火を見るより明らかだからな」  そのポイントが決まれば、十二人の魔術師がそこを囲む半径五百メートルほどの円形に散り、結界を張る準備をする。ウィルビーが中に入ったら、見えない壁で閉じるという。 「なあ、ウィルビーをうまく結界に捕らえたとして、俺の中の悪魔を奴に戻す方法ってのは、あるのか?」 「ああ、一つめのうちに依り代から追い出すのはわりと容易なんだ。まだ定着がゆるい、というか、そんな感じでな。過去に先達たちが成功して残した詠唱や呪文がある」 「ディーから取り除くのは?」  暗い表情。 「……二つ分、入ってるとしたら、ちょっと厄介だ」 「え……」 「その体液や体細胞に乗り移っている分、寄生された者に、いわば根を張っているような状態でな。根の強い雑草を引き抜くのが大変なように、それを引っぺがすのは……容易ではない、と思う」  きっと、激痛もあるのだろう。 「過去に、一つ憑いてる悪魔を、寄生者から無理やりひっぺがした例はあるんだが……、その記録文献によると、だな、取り除くときのあまりの苦しみに、錯乱して、数年間は元に戻らなかったらしい」  それが、二つともなれば……。  俺が眉をしかめていると、魔術師の一人が言いにくそうに発言した。  悪気はない。情報として、言っておいただけなのだ。 「寄生者が命を落とせば……、おのずと戻っては行きます……」  空気がピッと張り詰める。  咳払いをしたガーランドが、打ち合わせを続けようと言った。  全員が同意し、穏やかな声で続く話し合いが再開された。  ディーを殺すのか?と、いつもの俺なら噛み付くところだが、ガーランドは友人のために最善を尽くすだろうし、「容易ではない」だけで、「不可能だ」とは言ってない。  そのことに冷静に希望を抱いているせいと、眠気のために、俺は反論する気分になれなかった。  連日いい睡眠を取れていない。つい、うとうとした。 「俺な、あそこなんかどうかと思うんだが」  ロンドンを知り尽くしたエッドが場所を提案する声が、すうっ……と遠くなっていく。 「テムズ川の……」  ああ、だめだ。眠い。  視界が暗くなり、落ちた、と思った瞬間。  身体の奥がふと熱を持ったのがわかった。  胃のあたりが、温かい。強い酒をあおったときのような。  なんだろう。じわじわと、温かさがひろがっていく。  眠気も消えた気がしてゆっくり瞼を開けると、そこは遺跡のような石造りの建造物が緑の森に囲まれている静かな場所だった。  待てよ、前に来たことがある。ここは……、五年くらい前にロンドンの西の郊外ハイゲイトにできた大規模な墓地じゃないか。  凝ったゴシック風の造りをして並ぶ、人の背丈を越えたくらいのサイズの石の館たちは、貴族や富裕層の連中が屋敷を建てるようなこだわりで造った墓廟の数々。まるで街並みのような墓廟群だ。  来たことがある。ディーと一緒だった。  二年くらい前か? なんの取材に付き合わされた時だったろう。  ヴァンパイアが何かの噂があるときだったろうか。  そう、この固めた土の通路を二人で歩いた。  ディーが愛用のステッキを優雅に突きながら先に歩き、つまらなそうにぶらぶら続く俺を振り返っては立ち止まり、〝ほら、おいで〟と手を差し伸べた。 「やめろ、女子供じゃない」  ペシッとその手を払って、ずかずか先を歩き始めた俺を、いつものにやけ顔が見守る。  ちょうどこんな場所だった。  こんな墓石が右手にあって、左にはちょっと変わった墓石が……、そう、これだ、こんなだった。  そして少しだけ風のある日で、森の木々がさわさわと葉擦れの音を立てて……。 「ほら、ジェイ、おいで」  驚いて振り向いた。  目の前に、仕立てのいいダンディなスーツ姿のディーが笑っていた。  夢……なのだろうか。でも、木々の葉擦れや、髪に受ける微風はあまりにリアルだ。  声が出ない。ディーはゆっくりと近づいてくる。  確かな質感を伴った身体が、そっと俺を包み込み、抱きしめた。 「ディー……?」 「こんな場所での再会だけれど、まだ死んでないから安心して」  穏やかな声が冗談めかして言う。 「ばか!どこにいたんだ! いや、どこにいるんだ。これは夢か?」 「夢というか、意識の世界かな。どうやら私と君の波長がうまく合うので、ランデヴーできたみたいだ」 「ウィルビーは?」 「おいおい、私といるのに他の男の名前を呼ぶのかい?」 「ふざけるな」  ディーの身体を引き離し、胸元を殴りつける。 「はは、ごめんごめん。あいつは相当に疲れたみたいだよ。魔術師との戦いと、その後に私たちの逢瀬を演出した一連の……あれで。たぶん彼の術が緩んでいるから、こうして君と会えるんだろう」 「お前どこにいるんだよ。助けに行くから、教えろ」 「んー」  ディーは微笑んではぐらかし、俺の手を引いて歩き出した。 「それより、もう少し、こうしていようよ。散歩しよう」 「なに言ってんだ! そんな場合じゃないだろう!」 「そんな場合だよ」  ディーは繋ぐ手を緩めない。「だって」と、俺を見つめ、言う。 「最後かもしれないじゃない?」  激怒した。  その言葉に、その、優しげな微笑みを添えて落ち着き払った態度に。   考えるより先に言葉がほとばしり出る。 「なんだよそれ! 最後ってなんだよ、俺が、助けるって言ってんだよ! さっさと居どころを教えやがれ! こんな……、夢の中で幻のお前に会って、最後なわけないだろ? 探し出して、助けて、一発殴ってやるんだよ、俺が! 俺が! 俺が……」  昂りのままに涙を滲ませて喚き続ける身を、ディーが再び抱きしめた。強く、強く。泣き叫ぶ子供を抱きしめてなだめるように。  実際、涙が出ていた。悔しくて。 「ジェイ、いい子だから、落ち着いて」  激しい呼吸を収めようとする俺の耳元で、深く優しい声が囁く。 「でも、君もわかるだろう? 私の中にはもう、三つめもいるんだ」  身体に感じていた温かさ……は、いま微熱ほどの感覚になり、確かに相手の熱に反応している。  以前にディーが言っていた、残りの分身を取り戻したくてたまらない渇望。その疼きが、俺の身にも起き始めていた。 「痛みは? 一つめのとき、激痛だって言ってたろ」 「ああ、悪魔が活性化してないときは、全身に鈍い痛みが広がっている程度さ。活性化したら……、なにせ今、二つ分だからねえ」 「ひどい、のか?」 「んー、三つめが憑いれて二つ分になった直後は、気絶したよ」  聞いて、血の気が引いた。  一つめの時でさえもの凄い咆哮だったのに。  なのに、こんな話をするときにも、こいつはへらへらと笑う。  心配させないように? ムカついて、たまらない。 「ここに来たときのこと、覚えてる?」 「ああ。――あれ、なんの取材だった?」  つい、普通に答えてしまった。 「ほら、ヴァンパイアが現れるという墓廟があって……」  やっぱり。 「でもあれ、実は、たちの悪い強盗団が正体でね。ヴァンパイアの噂で人を寄せ付けないようにして、墓廟をねぐらにしてたんだよ」 「え……、そうなんだ」  暢気に語り始めた思い出話によると、噂を探ったディーは、なじみの情報屋たちからその事実を知らされ、しかも襲う予定のターゲットの一つが「スクルージ商会」だと知った。  俺に秘密のままで片付けるべく手を回し、まずは配下の男たちを使って、「スクルージなんかよりディケンズを襲うほうが簡単だし、大金を持っている」という話を強盗の一人に吹き込ませた。  強盗たちは、ある夜、独りで通りを歩くディーを拉致すべく姿を現したが……。まんまと一網打尽にしたのだそうだ。  守って、くれたのか。 「で、その直後に、この墓地に残党が潜んでいないかを確かめるため情報屋たちを放ったんだが、ついでに自分でも見ておこうと思ってね。あの日、実は私たちの周りで何人もの男たちが残党探しに駆け回っていたんだよ」  大して面白い話でもないが、ディーは楽しげに笑い、付け加えた。 「そうそう、今日この場所を選んだのはね、あの日からちょうど二周年だからなんだ!」  そんな日を覚えてたのか。と、考えていてハッと気づくと、またいつの間にか手を引かれて、ぶらぶらと歩き始めていた。 「やめろって、子供じゃないんだから」  解こうとした手をより強く握り返して、なおもニヤニヤと歩く。 「いいじゃないか子供で。だって、君は子供だった時間が短いだろ」 「え?」 「早くに親御さんと死に別れて、フロゥを守って、ずっと子供を捨てて生きてきたじゃないか」 「それが、なんだよ」 「もっと早くに……、いや、最初から私が君たちを引き取るべきだった、ごめんね」  ディーは少し間をおいて黙った後、ぽつりと言った。 「私はね、ジェイ、君が昔に忘れてきた〝誰かに甘えていい時間〟を、私で取り戻したらいいのにと、思っているんだよ」  不意をつかれた。  そんな言葉は、ずるい。  目の奥がみるみる熱くなってきた。ばかやろう、何を言い出すんだ。  必死にこらえながら歩き続ける。でも、きっと微妙な手の震えや、鼻をすする小さな音で、お前は気づいているんだろうな。  ディーは、俺のほうを見ずに歩みを続けていた。が、ふと立ち止まり、笑顔を消した。 「もう時間がないみたいだ」 「じゃあ、……早く居場所を教えろ」 「んー、それがね、よくわからないんだ。こうして意識は抜け出せたものの、どこに自分の身があるのかは、ウィルビーが呪術でうまいこと目隠ししていて、わからないんだよ」 「じゃあ、ガーランド、……ガーランドに探し当ててもらう!」  ディーは俺の言葉を聞いていないかのように続けた。 「ジェイ、三つが一緒になったら終わりだ。世界が恐ろしい欲望にさらされ、狂ってしまう」  だから殺せ、と、きっとお前は言うのだろう。 「そんなの、どうでもいい」 「ジェイ、お聞きよ」 「いやだ。聞きたくない」 「ジェイ……」 「世の中なんてとうに欲望まみれで狂ってるじゃないか! それ以上になったからどうだってんだ! 俺は、世の中がどうなろうと……」  言葉が喉に詰まった。どうやら俺は、本格的に泣いていたらしい。 「……お前がいなくなるほうがいやだ!」  ディーはこの場面に不釣り合いなくらい相好を崩し、嬉しげな声をあげた。 「もう一度言って!」 「へ?」  間抜けな声が出た。  ディーは嬉しそうに俺の肩をつかんで続ける。 「もう一度言ってよ。今の、最高の告白じゃないか。君が〝好き♡〟なんて素直に言うわけないんだから、もう、最高だよ。ほら」 「殴る! ホントに、見つけ出して、殴る!」  ジタバタする俺をひしっと抱きしめ直すと、落ち着くのを待って、ディーは甘く優しくキスをした。 「言って?」  そう言いながらも口づけ続けるので、話すことができない。  互いの体内に潜む存在が、熱を高めていくのがわかる。求め合っている。一つになりたい、と。 「おっと、これ以上はまずいな」  そうだ、調子にのって憑依が始まったら大変だ。 「いいかいジェイ、この悪魔が私と君に分かれている間は、ほぼ無害だ。だから私を殺せないなら、二人が会わないようにするしかない」 「ウィルビーを捕まえて、悪魔を戻せばいい」 「んー、ガーランドにその辺を期待してはいるよ。あの人、ああ見えて凄いからね。でもそれが無理だった場合、私たちはお別れだよ」  俺はディーを睨みつけた。 「あいつらがだめなら、俺たちが何とかする」  ばかなことを言っているのは承知だ。魔術師に何ともできないことを俺たちが何とかできるものか。それでも言わずにいられない。 「俺や、マーレイがいる。あいつ、なんだか実はすごいらしくて……、それに、この世のものではない力を持つフロゥもいるし……」  ディーは嬉しそうに俺の鼻に口づけた。 「無理しないで」 「無理じゃねえ!」 「聞き分けてよ、ジェイ」  拗ねた恋人をなだめる甘い痴話喧嘩のように、俺は抱きしめられ、揺さぶられていた。   と、動きが止まり、ディーの身体に緊張が走った。  あたりの風景が変化する。  空が濃い灰色に曇り、風は止み、微かに聞こえていた木々の音も無くなった。その代わりに、ぱちぱちぱち、と乾いた拍手の音が。 「感動的だねえ」  灰色の墓石をバックに佇んでいる人影が、拍手の手を止めた。ウィルビー。しかし、見慣れていた眼鏡の好青年ではなく、銀色の長髪と灰色がかった緑の瞳をした男だ。  自分の中の悪魔をディーに移し終えても死ぬことはなかったらしい。 「探したよ、ディケンズ君。意識の行方をくらますとは君もやるもんだ。さあ、帰ろう」  奴が顔の前の虫でも払うように手をひと振りすると、――ディーが消えてしまった。 「ディー!?」 「心配ないよ。身体のところに意識を帰しただけさ。僕が弱っている隙に意識を飛ばして逢瀬できるだなんて、ほんと君たち只者じゃないよ。僕なんか数百年かけて魔術を習得したのにさ」  ウィルビーを前に、言いたいことが多すぎて言葉にならない。  「睨みつける顔も美しいねえ、君が悪魔になるのが楽しみだ」  風は止んでいるのに、顔の表面がすうっと冷えていくのを感じた。 「……お前、目的は何だ」 「今のところは、〝三つに分けられた悪魔〟の復活、かな」 「なんの得がある? 成功したら、悪魔の力を手にするのは俺だ。きっとお前を殺す」 「はは、そうかな。悪魔もこの世でうまくやるためには協力者が要るはずさ。そこは契約次第だろ」 「もしかして、――殺されたいのか?」  高笑い。 「あははは、よくいるんだよね、その推測する人。永い時間を生きてきて、苦しくて、孤独で、もう死ぬことが願いなんだろう?みたいな? あはは、人間って面白い考え方するよねえ」  ゆっくりと近づきながら話し続ける。 「人間は不老不死が羨ましくて仕方ない、でも自分には叶えられない。だから、きっと永遠は孤独で辛くて哀しいはずだと思い込んで諦めようとする。ところがね、僕はまったく自分を悲観なんてしていないんだ。こんな身体に生まれて面白いとしか思ってないよ。でもねえ、退屈するんだよ。だから世界中に行ってみたり、あらゆる学問をかじってみたり、魔術を身につけてみたり。行った先で国政に関わって、戦争を指揮したこともあったよ」 「悪魔の復活も、退屈しのぎの一つだってのか」 「端的に言えば、そうだね。……僕は会ってみたいんだよ、悪魔に」 「?」 「僕の中の悪魔は、僕にとって、確かにいるという事実でしかない。病気や腫瘍と一緒さ。身体の一部で、それと共に生きてはいるけれど、何かを共有したり共感したりするような人生のパートナーじゃない。せっかく中にいるのに、話もできないんだ」 「腫瘍と話したい奴なんかいるかよ」 「君も千年超えで生きたら思うと思うよ?」  嫌味にも動じず、ウィルビーはのらくらと話し続ける。 「せっかくなら綺麗な悪魔と一緒にいたいじゃない。だから君を知ったときは嬉しかった。人間なら、ときめいたと言うのかな。今回初めて復活に成功しそうだし。嬉しくて震えてしまうよね」  好き勝手言いやがって。早く目覚めてディーを探さないと。いや待て、こいつはむしろ俺とディーを合わせたいのだから……、答えるんじゃないか? 「ディーはどこだ」 「恋しい?」 「うるさい」 「身体の中で、呼び合うんでしょう? 前に依り代にした人間たちもそう言ってた。欲しくて欲しくてたまらないって」 「セックスが手段だなんて、悪趣味だと魔術師が言ってたぜ」 「別に好きモノだからじゃないよ? 僕に性的興奮はないからね」  朗らかに言ってのけるところを見ると、不能へのコンプレックスがあるわけではないらしい。 「自分にないものだから、ものすごく興味があるんだ。だから観察したい。気持ち良さそうな君を見てたら、羨ましいと思ったよ」 「突っ込むのが無理なら、突っ込まれてみればいいじゃないか」  これも嫌味のつもりで言ったのだが、 「試してみたことないとでも?」  軽く嗤われた。 「そうだねえ、悪魔にデキるようにしてもらって、君を抱こうか」  目の前まで近づいた。  遠ざかりたいが、動けない。殴り飛ばすこともできない。  ウィルビーは、俺の頬を撫で、顔を耳元に近づけて言った。 「さっさと君の中で三つの悪魔を合成しちゃってよ。そしたら、しばらく強大なパワーを楽しめばいいじゃない」 「興味ない」 「ほんとに? ディケンズを救いたいと思わないの?」 「どういう意味だ」 「三つめの悪魔を君に注いだ後、彼がどうなるかは僕にもわからないんだよ? もし死んじゃったら、蘇らせることができるのは、君に取り憑いた悪魔の力なんじゃないかなあ」  ディーが、………死ぬ。 「そうでなくても、今の状態から早く助けてあげたほうがいいと思うんだけどなあ。身体が痛むって知ってるでしょ」  何を言わんとしているのか、想像がついてゾッとした。 「二つ分の悪魔が入っている痛みは、それはもうひどい有り様でね。叫び続けて、喉が破れて血を吐いてるよ。だから、たまに僕が悪魔を落ち着かせて休ませてあげるんだけど、そうすると僕が疲れちゃって。さっきみたいに逃亡されたりするんだよね。しばらくそっちには力を使いたくないから、ディケンズは痛みに叫びっぱなしになるかもね」  悔しい。今すぐ何もできないことが、悔しい。  ウィルビーは再び顔を近づけて言った。 「早く、愛しいディーのところにおいで。××××で待ってるから」  その言葉と同時に、気が遠くなった。 

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