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金糸雀(カナリア)9 side蓮

ドアノブを押すと、鍵のかかっていなかったドアは簡単に開いた。 中は真っ暗で。 廊下の光を頼りに中へ進むと、ベッドの上で枕を抱え込み、猫みたいに体を丸くして眠っているのが見えた。 赤く腫れ上がった目蓋にそっと触れる。 ぴくんと動いたけど、余程深く寝入っているのか、目を覚ますことはなかった。 柔らかい髪をゆっくり撫でてみる。 また、ぴくんと動いて。 寝ているのに苦しそうに歪んだ表情が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。 「…ごめんな…」 もう こんな風に泣かせたくないと もう二度と泣かせないように守ってやると 固く心に誓ったのに あの日 庭の片隅で 自分を置き去りにした父親を待ちながら 真珠の涙を流すおまえに触れた時から ずっと… 「兄さん」 ドアから差し込んでいる光に影が出来て。 振り向くと、龍が立っていた。 「風呂、空いたよ」 「ああ」 頷きだけを返して、髪を撫で続けていると、足音を立てずにこちらへ近付いてくる。 そうして、俺と同じようにそっと髪に触れた。 「…泣き疲れて、寝ちゃったの?」 「ああ」 「子どもかよ…」 呆れたような口調とは裏腹に、見下ろす眼差しは優しい。 「兄さん、ちょっといい?」 だが、すぐに手を離すと、顎をしゃくって俺に廊下へ出るように指示する。 立ち上がり、廊下に出てドアを閉めると、龍は壁に背を預けて腕を組んだ。 「加藤って最近楓が仲良くしてる奴に、詳しく聞いたんだけどさ…」 そう言って龍が話してくれたのは、俺が想像していたことと概ね合致していた。 「そうか…」 「その平野って奴、ことあるごとに楓を目の敵にしてるらしくって…自分がαだからって、威張り散らしてるらしい。…αだからって、なんでも秀でてるわけじゃねぇし、βだからって絶対的にαに劣るってこともないのに…そんなことも知らないなんて、バカじゃねぇの」 「…嫉妬、だろうな。九条家と…楓個人の才能への」 「くっだらねぇ…同じαだなんて、思いたくねぇな」 龍の言う通りだ。 本当にくだらない。 だが、世の中そんな奴らばっかりなんだ。 九条の名前からは逃れられないし、楓に音楽の才能があるのは事実なんだから。 いい加減そういう視線に慣れないと、これから先もっと辛い思いをすることになるだろうに。 …もっとも、それが楓の良いところでもあるんだけど。 でも、まぁいい。 ずっと俺が傍にいて、あいつを傷付ける全てのものから守ってやれば良いだけの話だ。 「んで?どうすんの?ほっとくの?」 「…九条家の大事な姫を傷付けたんだから、それ相応の罰は受けるべきだろ」 「姫って…ホント、楓には過保護だよなぁ。もう1人の弟にも、それくらい構ってくれたらいいのに」 「また、その話か?おまえは、放っておいても自分で解決出来るだろ?それに、αなんだからそれくらい自分でなんとか出来て当然だと言ったろう」 「あ~、はいはい。兄さんにとって守るべき存在は、楓1人だもんね」 「当たり前だ。楓は…」 本当はΩなんだから それは、心の中だけで呟いておいた。 「楓は…なに?」 「…いや、なんでもない」 龍はしばらく窺うように俺を見つめたが、やがて長い息を吐き出すと、くるりと背中を向けて自分の部屋へと歩き出した。 「龍?どうかしたのか?」 その背中に微かな違和感を覚え、思わず声を掛けたけど。 振り向くことはなかった。 「別に。さっさと風呂、入っちゃってよ?」 後ろ手に、ヒラヒラと手を振って二つ隣のドアの向こうへと消える。 その姿を見送って、俺はポケットからスマホを取り出し、親父の秘書の佐久間へと電話を掛けた。 「蓮です。お願いしたいことがあるんですが…」

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