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金糸雀(カナリア)13 side蓮

『楓は、蓮や龍みたいにαじゃないけど。でも、自分で世界を自由に羽ばたいていける立派な翼を持ってる。それを押さえ付け、籠に閉じ込めてるのは蓮じゃない?』 音楽科の校舎へと向かいながら、何度も春海の言葉を反芻した。 わかってる あいつの翼はピアノだ 初めて楓の音を聞いたとき 心が震えた それまで音楽を聞いても心を動かされることなんてなかったのに 初めて楓の音に触れた、ショパンの【ノクターン】 楓が俺のために弾いてくれたそれは、どこか切なくて哀しくて 俺の心を激しく揺さぶって 気が付いたら 熱いものが頬を流れていた 後にも先にも音楽を聞いて涙したのはその時だけで 楓のピアノには人の心を揺さぶる何かがある それはαとかΩとか性別なんか関係なくて 楓だけが持つ大きな才能 それを世界に認めさせるためなら 俺に出来ることはなんでもしようと 楓を傷付けようとする全てのものから護る楯になろうと そう思っていたけれど…… HRが終わった直後の教室は、普通科となんら変わることのない解放感で溢れていた。 そんなざわめきの中を見渡しても、楓の姿はない。 「あれ、蓮くん?」 ドアのところに立ち尽くしていた俺に、声をかけてきたのは加藤。 その瞬間、教室中の生徒が一斉に俺を振り向いた。 恐ろしいものでも見たような眼差しで。 「楓なら、いないよ」 みんなが俺を遠巻きに見てるなかを、加藤は困ったように微笑みながらこちらへ歩いてくる。 「そうか…ありがとう」 居心地の悪さに、お礼だけを言って踵を返そうとしたら、不意に手首を捕まれて。 「あのさ…」 何かを言いかけて口をつぐんだ加藤は、振り向いて教室をぐるりと見渡すと、掴んだ手を引っ張って廊下の隅へと俺を連れ出した。 「こんなこと…俺が言っても怒んないでよ?」 俺の様子を伺うように上目遣いに見上げてくるから。 小さく頷いた。 何を言われても受け入れようと、腹を決めて。 「αの中でもとびきり優秀な蓮くんから見れば、楓は頼りなく見えるのかもしれないけどさ…あいつ、たぶん蓮くんが思うよりずっと強い奴だよ?音楽科のやつらって、クラスメートである前に、同じコンクールで競ったりするライバルなんだ。ましてや、平野みたいにαっていう、生まれつきハンデもらってる奴もいたりして…そんな中で、他人を押し退けて天辺に登るには、生半可な努力じゃ足りないんだよ。気の遠くなるような努力と、そしてそれを持続することを可能にする強い精神を兼ね備えてないと。俺、楓にはそれがあると思う。あいつ、普段はぼんやりしてるけどさ。いざって時の集中力って怖いくらいだし。だから、さ…」 「ああ。わかってる」 楓のことは、誰よりも知ってる あいつが、毎日どんなに長い時間ピアノに向かっているか 見えないところで、血の滲むような努力を重ねてきたことを 他の誰でもない、俺が一番知っている そしてそれは 他人を押し退けて天辺に登るためとか そんなんじゃなくて ただひたすらに己の内と向き合う戦い その戦いがいかに孤独で険しいものか 俺はちゃんと知ってるから 「…うん。余計なこと言ったね。ごめん」 加藤は、申し訳なさそうに笑った。 「いや。言ってもらって良かったよ。頭ではわかってるつもりでも、第三者に言葉にしてもらうとガツンとくる」 俺も小さく笑うと、びっくりしたように目を真ん丸にする。 「…さすが、やっぱ優秀なαは違うな。こんなしがないβの生意気な言葉も、どーんと受け止めてくれるんだから」 「なんだよそれ。バカにしてんのか?」 「まさか。やっぱ正当な血統のαは器が違うよなって感心してんの」 「…やっぱ、バカにしてるだろ」 「違うって。あ、そうだ。せっかく仲良くなったんだしさ、今度俺にも数学教えてくれる?楓に教えるついででいいからさ」 加藤はそう言って、人懐っこい笑顔で手を差し出してきた。 その笑顔には、柔らかいけれど相手に拒否権を与えないような妙な迫力があって。 基本、人とあまり関わりたがらない楓が仲良くしてるのが、なんとなく理解できた気がして。 俺自身は仲良くなった覚えは1ミリもないが、気が付いたらその手を握り返してしまっていた。 「いつでも。ビシビシ、鍛えてやろうか?」 「その言い方、怖いなぁ~」 脅しのつもりでわざと凄んでやったら、加藤はやっぱり笑いながら手を離して。 「たぶん、4階の一番奥のレッスン室だよ。長野先生、いつもそこを使うから」 楓の居場所を、教えてくれた。 「ありがとう」 お礼を言うと、早くいけと言わんばかりに手を振られて。 俺はもう一度加藤に頭を下げて、4階へ向かう階段へと足を向けた。

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