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金糸雀(カナリア)15 side蓮
不思議なんだ
どうしておまえだけなんだろう
世の中
技術的に巧いピアニストなんてごまんといる
だけど
おまえの音だけが俺の心に染み入って
俺をひどく揺さぶるんだ
それは
ただ単に
俺とおまえが血が繋がっているからなのか
それとも………
楓の心根のような、柔らかくて優しくて、でもどこか強さも感じさせる音たちが、部屋いっぱいに溢れている。
鍵盤の上を滑る指先は、一級の芸術品のように美しくて。
いつの間にか
幸せそうな微笑みを浮かべた楓は
絵画から飛び出てきた天使のようで
その背中に
大空を羽ばたく真っ白い翼が見えた気がした
最後の音を弾き終わり、楓が鍵盤から手を下ろしても。
俺は動くことが出来なかった。
いつも聞いているはずなのに、今日の音はいつもと違って特別な音に聞こえて。
気を抜くと、この内に渦巻く様々な感情が堰を切って溢れだしてしまいそうで。
硬く唇を引き結んだまま、幸せそうに自分の両手を胸に押し当てて微笑んでいる楓を、ただ見つめ続けていた。
「…うん。ようやくいつもの楓くんに戻ったね」
長野先生が、そう言ってポンと楓の肩を叩く。
「…すみませんでした」
「謝ることはないよ。人間、誰だって気持ちの浮き沈みはあるものだ。それをいかにコントロールしていくか…いくつになっても難しい問題ではある」
「はい…」
「でも、君は良い家族に恵まれているようだし、それに何事にも揺るがない大切な音をもうその手に掴んでいる。それを、大切にしなければならないな」
「はい」
楓がしっかりと頷くと、先生は嬉しそうに笑って。
もう一度肩を叩くと、大きく伸びをした。
「じゃあ、少し休憩にしようかな。僕もトイレに行きたいし。蓮くん、しばらく楓くんのことを頼むよ」
「えっ!?」
突然そう言われて、驚いて腰を浮かすと。
先生はヒラヒラと後ろ手に手を振りながら、レッスン室から出ていってしまった。
残された俺は、思わず楓を振り向いて。
目が合った瞬間、楓が気まずそうに視線を逸らす。
途端、部屋の中には重苦しい雰囲気が流れて…。
どうしよう…
いや、どうしようもこうしようも
俺が謝るしかないんだけど…
『少しでも悪いことをしたと思うんだったら謝ってきたら?それが、人間関係の基本だよ』
春海の言葉が、背中を押そうとしてくれるけど
『ごめんなさい』
そのたった一言が、変なプライドが邪魔をして喉奥に引っ掛かってしまう
それでも、なんとかそれを押し出そうと息を吸い込んだら。
「あの、さ…ごめんね、蓮くん…」
一歩早く、楓の唇がその言葉を紡いでしまった。
「え…」
「嫌い、なんて…言ってごめん」
「あ…いや…」
「蓮くんのこと、ホントに嫌いになったわけじゃないから。というか…絶対、嫌いになんてならないから…」
俺が怒ってると思ってるのか、肩を小さくして、心底申し訳なさそうにボソボソと喋るのが、とても愛おしくて。
「…わかってる。それに、楓が謝ることなんかなにもないよ。悪いのは俺だから」
それまで引っ掛かってた言葉が、するりとこぼれ落ちる。
「平野の転校のことは、本当に意図したわけではないけど…そうなることを想定していなかったと言えば、嘘になる。だから…悪かった」
頭を下げると、楓はまた目を真ん丸にした。
「…なに?」
「いや…蓮くんが誰かに謝るとこ見るの、初めてだから…」
「そうだっけ?」
「うん。いつも絶対謝んないじゃん」
「そんなことないだろ」
「あるよ」
「それは、俺に非がないときだろ。悪いことをしたと思えば、俺だってちゃんと謝るよ」
「そう?」
首を傾げ、くすっと笑った楓は、見たこともないくらい綺麗で。
とくん、と
また胸の奥が疼いた
「そっか。じゃあ、ごめん」
「別に謝る必要はない。っていうか、おまえはすぐに謝りすぎなんだよ」
「そうかな?」
「そうだ」
「じゃあ、俺と蓮くんを足して2で割ればちょうど良くなるかな?」
「…それはちょっと違うような…」
いつの間にか重苦しい雰囲気は消え去っていて
柔らかくて温かい空気が俺たちを包んでいる
こんな穏やかな時間がずっとこのまま続けばいいと
楓の楽しそうな微笑みを見ながら
頭の片隅で考えていた
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