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百舌鳥(もず)2 side春海
「ごめんね、邪魔して」
「ううん、全然邪魔じゃないよ。春くんこそ、部活は?」
「それが、突然なくなってさ。そしたらなんか…楓に会いたくなっちゃって」
ぽろっと、本音が出ちゃって。
内心ちょっと焦ったら、楓は嬉しそうにふふって笑った。
「そうなの?なんか、嬉しいな。これ、食べていい?」
「うん、どうぞ」
袋を開け、その中からチョコレートを摘まんでぽいっと口に入れる。
「んふ…おいし」
ふんわりと天使の微笑みを浮かべたまま、指に付いたチョコをちょっとだけ出した紅い舌で舐めとる仕草が、やたら艶やかに見えて。
そのひどくアンバランスな姿に、背筋がぞくっとした。
あれ…?
楓って、こんな色っぽかったっけ…?
「…ん?なんか、顔についてる?」
思わずまじまじとその唇を見つめてしまったら、ちょこんと可愛らしく首をかしげてきて。
俺は慌ててぶんぶんと首を横に振った。
「ううん、なんでもっ!それより、練習!練習して!俺、邪魔なら帰るし!楓の顔、見に来ただけだからっ…」
見惚れていたことに、急激に恥ずかしさが込み上げてきて。
咄嗟に出ていこうとした俺の手を、少しひんやりとした手がそっと掴んだ。
「待って…!いいから…ここにいて?」
まっすぐな澄んだ瞳が、俺を捕らえて。
動けなくする。
「え…いい、の…?」
「うん。だって、春くんとこうして二人っきりなんて、滅多にないもん。もっと、一緒にいたい」
「え…?」
それって…
それってさ…
どういう意味…?
「あ、でも…春くん、せっかく部活休みになったから、友だちと出掛けたりとか…」
「ううんっ!暇っ!暇だから、大丈夫っ!」
眉を下げて言いかけた楓を、つい大声で遮ると。
また、天使の微笑みを浮かべてくれた。
「じゃあ…」
「うん」
頷いて、部屋の角に置いてあった椅子に座る。
「あ、でも退屈ならいつでも出ていっていいからね?」
「退屈なんてしないよ。俺、楓のピアノなら何時間だって聞いてられるもん」
「ふふ…そうなの?」
「そうなの」
「そっか」
楓は、嬉しそうに笑って。
鍵盤に指を置くと、小さく息を吸った。
次の瞬間、部屋中に美しい音色が響く。
それは楓そのものみたいな
柔らかくて
でもその中にはしなやかな強さが隠れていて
とても清らかな音
目を閉じて、その音色に耳を澄ましていると、まるで楓に抱き締められているような錯覚に囚われて。
その温かい腕の奥底へと、深く深く、沈んでいった。
「…春くん…春くんってば…」
耳元で声が響いて。
重い目蓋を持ち上げると、目の前には困ったように眉を下げた楓がいた。
「…あ、れ…?俺…」
「ごめんね、起こして。でも、もう下校時間だから…」
そう言われて、窓の外を見ると真っ暗で。
「うわっ、ごめんっ!俺、寝ちゃってた!?ホント、ごめんっ!」
「ううん、俺の方こそごめんね。春くん、疲れてるのに引き留めちゃったりして」
慌てて謝ると、楓の方が俺より何倍も申し訳なさそうに謝ってきて。
「いや、これは疲れてるとかそういうんじゃなくてっ…そのっ…楓のピアノの音がすごい気持ちよくてっ…その…ごめん…」
そんな顔して欲しくなくて、上手い言い訳を探したけど、出てはこなくて。
楓に謝らせてしまったことと、せっかくの二人きりのチャンスを自ら潰した不甲斐なさに、自分への怒りが湧いてきた。
「…とにかく、帰ろ?もう、昇降口閉まっちゃうから」
「…うん」
楓に促されて、とぼとぼとレッスン室を後にする。
「…そんなに疲れてたの?イビキ、かいてたよ?」
肩を落として歩く俺にそう言って。
楓は上半身を屈め、下から覗き込んできた。
「え?マジっ!?」
「うん」
「ごめんっ!ホント、ごめんっ!」
「ううん。なんか…春くんの寝顔、可愛かった」
「へっ…?」
「実は、ここんとこイメージ通りに弾けなくて、ちょっと焦ってたんだけど、春くんの寝顔見てたらなんだか癒されたからさ…来てくれて、ありがとね」
落ち込んでる俺に気を使ってくれたんだろう言葉が、ふわりと俺の心を優しく包み込んでくれて。
きゅんっと、胸が締め付けられた。
ああ…
やっぱ俺
君のことが好きだ
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