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火食鳥(ひくいどり)22 side龍
「…え?楓、帰ってきてんの!?」
「はい。お昼前には。今はお部屋で休んでいらっしゃいますよ」
小夜さんが言い終わる前に、俺は靴を脱ぎ捨てていた。
普段はやらない二段飛ばしで階段を駆け上がり、自分の部屋は素通りして楓の部屋のドアノブを掴む。
「楓っ…!」
ノックもせずにそれを押すと、鍵は掛かっていなくて。
遮光カーテンを引いた薄暗い部屋の中、数日間主のいなかったベッドの上がこんもりと山になっていた。
やっと帰ってきた…!
たったそれだけのことで弾む心を抑えつつ、足音を立てないようにベッドへ近付く。
横向きで規則的な寝息を立てる楓は、入院する前より線が細くなってるように見えた。
「おかえり…」
そっと髪へ手を滑らせると、ふるっと睫毛が震えて。
ゆっくりと持ち上がった目蓋の下から現れた濃茶の瞳が、緩く俺を捕らえる。
「…蓮くん…」
どこか甘えたような響きのそれが耳に飛び込んできた瞬間
背中を感じたことのないものが駆け抜けていった
それは甘い痺れのような
電流みたいな感覚
楓ってこんな風に兄さんを呼んだっけ…?
「…違うよ。俺だよ」
兄さんと間違えられたのがなんだか悔しくて。
ひんやりとした頬に手を滑らせながら、顔を近付けて目を合わせる。
緩かった焦点が徐々に合ってくると。
「…りゅ…う…」
楓の瞳が、怯えたように揺れた。
そんな目を向けられたのは
初めて楓がうちに来たとき以来だった
「楓…?」
急にどうしたのかと不思議に思ってると。
楓が身体を後ろに引いて、頬に触れていた手が離れた。
それはまるで
俺に触られるのが嫌だって言っているかのようで
胸がズキンと痛みを訴えた。
「なに…?どうしたの…?」
俺を見つめる瞳は、やっぱり怯えているように揺れていて。
頭が混乱する。
「楓…?」
なんでそんな目をするのか、理解できなくて。
もう一度触れようと手を伸ばしたとき。
「龍っ…!」
バタンとドアの開く激しい音がして、直後に兄さんの声が飛んできた。
「おまえ、なにやってるっ!」
びっくりして振り向いたら、この間春海に見せたみたいな厳しい顔で兄さんが近付いてきて。
楓に触れようとしていた俺の手首を、掴む。
「な、なにって…楓、帰ってきたって聞いたから、様子を…」
なんでそんなに怒ってんのか、訳がわからなくて。
しどろもどろで答えると。
兄さんは俺をじっと睨み付けたまま、手首を掴んだ指先に力を入れた。
「って…!」
「蓮くん。大丈夫、だから…」
痛みに、思わず兄さんを睨み返したとき。
楓の静かな声が、俺たちの間に割って入ってきて。
兄さんはチラリと楓の顔を見ると、息を大きく吐き出して、掴んでいた手をようやく離した。
「…まだ、楓は本調子じゃないから」
目を逸らし、そう言って。
俺の肩を、軽く握った拳でトンと軽く押す。
まるで
早く出ていけと言わんばかりに
「あ…ごめん…」
思わず楓の顔を仰げば、やっぱり同じように目を逸らしていて。
おまえは邪魔なんだと
そう言われているような気がして
逃げるように、部屋を出た。
「蓮くん…」
兄さんに甘えるような楓の声を、背中越しに聞きながら。
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