66 / 547

火食鳥(ひくいどり)31 side蓮

「楓…また、食べないの…?」 龍が、自分の隣の空っぽの椅子を見ながら、深い溜め息を吐いた。 「あぁ…」 あの日から 楓は殆ど部屋から出てこなくなった 食事も殆ど取らず ただ狭い部屋の中でぼんやりとどこか遠くを見ているだけ その姿はまるで生きる屍のようだった 「ねぇ…もう一回、入院させたら?このまま、ここにいてもさ…あいつ、衰弱するだけじゃん…」 なにも知らない龍の本当に心配そうな言葉に、返す言葉なんてあるはずもなくて。 「…そうだな…」 曖昧に返事をしながら、逃げるように席を立つ。 「楓の部屋、行くの?」 「ああ」 「だったら、俺が行く。兄さんも顔色悪いし、少し休んでなよ」 「大丈夫だ」 「無理すんなよ。俺だって家族なんだぜ?俺に出来ることがあったら…」 「楓のことはっ!…俺に任せてくれればいい」 畳み掛けるような言葉を、つい強く遮ってしまった。 途端、龍の顔に傷付いた色がばっと広がるのが見えて。 反射的に、目を逸らす。 龍が楓のことを本気で心配してるのはわかっている でも 俺以外の奴が 楓のことを考えることすら嫌なんだ たとえそれが 大切な弟でも 「…おまえ、今日練習試合だろ。楓のことは俺に任せて、そっちに集中しろ。秋の大会も近いんだし、エースのおまえが余計なこと考えてたらダメだろ」 「余計なことって…大事な家族を心配することが、余計なことかよっ!」 「だから…楓のことは俺に任せてくれればいいから」 「兄さんっ!」 苛立ちというより、最早怒りに近いような声を振り切って。 ダイニングを後にした。 最近こんなことが増えた 龍の気持ちは痛いほどわかっているけど… いっそ 楓をあの目黒のマンションに閉じ込めてしまおうか… 頭の片隅でそんなことを考えながら、楓の部屋をノックする。 「楓…?起きてるか…?」 そっと声をかけたけど、いつものように返事はなく。 「入るぞ」 一応、断ってドアを開いた。 相変わらずカーテンの閉められた薄暗い部屋のベッドの上で。 楓は壁に背を預け、ぼんやりと宙を見つめていた。 「楓…」 部屋の鍵を閉め、わざと足音を立てながらベッドへ近寄り。 わざとギシリと音を立ててベッドへ上っても。 その視線は動かない。 隣に腰を下ろし、その肩をそっと引き寄せると、ようやく虚ろな目線が俺の方を向いて。 「…蓮くん…」 ほんの少しだけ、微笑んでくれた。 ゆっくりと頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細めて。 俺の肩に、その小さな頭を乗せる。 俺に全てを預けるみたいに この瞬間はそれだけでいいと 愛おしいおまえがこの腕の中にいるだけでいいと そう思ってしまうけれど… 「楓…」 小さな声で呼ぶと、ゆっくりと顔を上げて。 俺を見つめた瞳の奥は 光も射さない漆黒の闇 胸の深いところに、鋭い痛みが走る。 違う… 俺はおまえにこんな目をさせたいわけじゃない 本当は…取り戻したい キラキラと宝石のように輝いていた あの頃の瞳を そのためには… 「…なぁ…ピアノ、もう一度弾かないか?」 もう何度も言い続けている言葉を、また口にする。 だけど、楓は静かに首を横に振って。 俺から視線を外すと、目蓋を下ろした。 「なんでもいいんだ。クラシックじゃなくても。楓のピアノ、俺にもう一度聞かせてくれないか?」 「…ごめん…今は、無理…」 「…楓…」 本当のおまえを取り戻すためには おまえの音を取り戻すしかない あのときのように でも… そのために俺は 何をしたらいいんだろう……

ともだちにシェアしよう!