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花魁鳥(エトピリカ)15 side蓮

ゆっくりと島内を散策した。 楓が多くを語らないから、時折ぽつぽつと話をするだけで、ただ景色を眺めながら無言で歩く時間が殆どだったけれど。 ただ、その愛おしい存在をすぐ傍に感じるだけで、その景色は美しく輝いて見えて。 時々触れる指先にドキリとしたり。 時々向けられる花のような微笑みに、自然に笑みが溢れたり。 そんな些細なことが こんなにも幸せなんだと 噛み締めながら、一生忘れることの出来ないであろう景色を目に焼き付けた。 江ノ島神社の奥宮に参り。 そのさらに先の急な階段を下ると。 ゴツゴツとした岩場に真っ白い波が打ち付ける場所に出た。 雲ひとつない青空の向こう側には、富士山がはっきりと見える。 「波打ち際まで行ってみたい。ダメ?」 小首を傾げて、可愛らしくおねだりされると、ダメなんてとてもじゃないけど言えなくて。 「気を付けろよ。海に落ちたら大変だぞ」 そんなありきたりな言葉を付け加えつつ、二人で岩場に降りた。 何度も岩に足を取られて転びそうになる楓の手を繋ぎ、波飛沫がかかるギリギリまで近付いて。 大きな波から慌てて逃げたり、引き波を追いかけたり。 考えていたこと。 悩んでいたこと。 苦しいこと。 哀しいこと。 この時だけは全部放り出して。 無邪気なこどもの頃に戻ったような気分で、二人で声をあげて笑いあった。 「あー、楽しかった。こんなに笑ったの、何年ぶりだろ」 ひとしきり遊んで。 波のかからない大きな岩の上に並んで座ると、楓は大きく伸びをした。 そうして、遠くの富士山よりも、もっと遠くに視線を投げながら。 そっと俺の手を握る。 「…昔ね…父さんが海に連れてきてくれた時…父さん、こうやって座って、ずっと海を見てた。何時間も…」 瞳がゆらりと揺れたように見えて。 思わず握った手に力を込めた。 「その時は、海が好きなのかなってくらいにしか考えなかったけど…父さんが海で死んだって聞いたとき…わかったんだ…あの時の父さんは、死に場所を探していたんだなって…」 「楓っ…」 すべての感情を圧し殺したように、淡々と話す楓を見てると、俺の方が苦しくなって。 話を遮ると、楓はゆっくりと俺へと顔を向け、微笑む。 大丈夫だよ、とでも言うように。 「だから…ずっと嫌いだった。父さんが消えた、海が」 「え…?」 「…でもね…自分がΩだってわかって…そうしたら、父さんのこと、もっと知りたいって思った。父さんがなにを思い、なぜ死を選んだのか…」 「…楓…」 「ここは父さんが死んだ場所じゃないし、来たからって、今さらなにかが分かる訳じゃないけど…でも、ずっと嫌いだった海が、すごく綺麗で…なんか、泣けそうなくらい、綺麗で…海を見てたら、ずっと心の中にあった重たい痼みたいなのが、すーっと溶けていくみたいで…」 微笑んだままの楓の頬を、一筋の涙が伝った。 「だから…連れてきてくれて、ありがとう」 「…うん…」 「きっと…蓮くんが傍にいてくれたら、こうやってひとつひとつ、乗り越えていける気がする。だから…これからもずっと傍にいてくれるかな…?」 「ああ…」 頷こうとして。 でも思い止まった。 「蓮くん…?」 楓が、不安そうに俺を覗き込む。 本当はまだ話すつもりはなかった でも… 話すのは今かもしれない 「…あのな、楓…」 俺はずっと考えていたことを話す決意を固めた。

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