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花魁鳥(エトピリカ)23 side楓
「まぁ、旦那様」
ドアを開けた小夜さんの言葉に、驚いて布団から顔を出した。
その言葉通り、俺の部屋に九条のお父さんが入ってきて。
ビックリしすぎて、挨拶するのも意識から飛んでってしまう。
だって、お父さんが俺の部屋に来るなんて、今まで一度もなかったから。
「か、楓さんっ…」
「あぁ、そのままでいい。無理して起きることはない」
小夜さんが慌てて駆け寄ってきて、起き上がろうとしてる俺に手を貸すと。
九条のお父さんはそれを制し、俺を再びベッドへ寝かせて。
布団をかけ直し、その上からぽんと優しく叩いた。
「大丈夫か?」
「あ、は、はい…」
「顔色が、悪いな…熱もあるのか…」
その大きな手が、腫れ物に触るようにおでこにそっと触れる。
お父さんより大きくて、少し冷たい手なのに。
まるでお父さんに触れられているようで。
奇妙な安心感が、湧いてきた。
「すまなかった」
「え…?」
「おまえが…本当はΩであること…隠していて、すまなかった」
まるで子どもにするように髪を何度も梳きながら。
九条のお父さんが謝罪の言葉を口にする。
「守れなくて…すまない」
「そんなこと…」
「約束…守れなくてすまなかった…」
「え…?」
なにか約束していただろうかと、動きの悪い頭で記憶を手繰り寄せていると。
「…許してくれ…諒…」
九条のお父さんの瞳から、大粒の涙がひとつ、零れた。
「お、父さん…?」
「すまない…許してくれ…」
何度も何度も、謝って。
でもその瞳は、俺を見てるんじゃなくて。
俺の中にいる
お父さんを見ていた
「…お父さん…俺は、大丈夫ですから…」
髪を梳き続ける手に、そっと自分のそれを重ねた。
九条のお父さんは、ピクッと震え、動きを止めて。
しばらくの間じっと俺を凝視したあと、ゆっくりと息を吐き出す。
「…楓。学校、ずっと行けていないそうだな?」
そうして俺から手を離すと、いつもの厳しいオーラを一瞬で纏った。
「あ…はい…すみません…」
その突然の変化に、一気に緊張が高まる。
「コンクールのことは…すまなかった。抑制剤が効いていると思い込んでいた、私のミスだ」
「いえ、それは…」
「だが、いつまでもこうして家に閉じ籠っていさせるわけにもいかない」
言葉が、鋭さを増した。
「は、い…」
「楓…おまえを、沖縄にある全寮制の高校に編入させることにした」
「えっ…!?」
突然の宣告に、頭がフリーズする。
沖縄…?
なんで…?
「一度ヒートを迎えてしまった以上、この家に置いておくわけにはいかない。ここには龍がいる…私の言っていることが、わかるな?」
「…は、い…」
混乱していたけれど。
その言葉は理解できた。
だって俺が
全てを狂わせてしまったから
だから
九条のお父さんに逆らうことなんて出来るはずもない
俺が全部悪いから
「体調が戻ったら、すぐにでも向こうへ行きなさい。今度の高校は、Ωの生徒にも理解があるところだ。きっと、今よりずっと生きやすくなるだろう。手配は、全て私の秘書に任せているから、おまえはそれに従えばいい」
「…は…い…」
「旦那様。そろそろ飛行機のお時間が…」
「ああ、わかっている」
呆然と頷くと、九条のお父さんはもう一度だけ俺の頭を撫でて。
くるりと踵を返した。
「あのっ…!」
その背中を、一度だけ引き留める。
どうしてもこれだけは聞かなきゃならなかったから
「蓮くん、は…」
震える声で訊ねると、九条のお父さんはピタリと足を止めて。
「あれは…もうアメリカだ。あと6年は、日本には帰って来させない」
振り向きもせず。
感情のない、冷たい声でそう言って。
足早に、ドアの向こうへと消えていった。
「そんな…」
会え、ない…
もういない…
蓮くんは
もういないんだ
そう理解した瞬間。
視界が真っ白になった。
「楓さんっ…!」
蓮くん
会いたい
会いたい
会いたい
でも
もう会えない
あなたにもう会えないのなら
いっそこのまま
死んでしまいたい………
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