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不如帰(ホトトギス)3 side春海

やがて曲が終わり、拍手が起こって。 次の曲が始まったところで、目を開くと。 龍はワイングラスを握り締め、その中で揺れる赤紫色の液体を感情の見えない眼差しで見つめていた。 「あれから、もう10年か…元気かな、楓…」 無理やり呼び起こされた感情に押し流されるように。 今まで敢えて避けてきた言葉を口に乗せた。 「…もう、死んでる」 龍は吐き捨てるように答える。 「病院を抜け出したとき…財布も携帯も置きっぱなしだった。なにも持ってないあいつが、そんなに遠くに行けたはずはない。しかも、あんな身体で…。なのに、どんなに探しても見つからなかった。九条の力を使っても、だ」 「うん…知ってる」 俺が、楓は沖縄で元気に暮らしていると信じていた半年の間 龍は楓の行方を血眼になって探していたらしい 憔悴しきっていたのは それもあってのことだった その後、俺も密かに行方を追ってみたけど なんの手懸かりも掴めていない 死んだという手懸かりさえも だから 「生きている、はずがない。絶対に」 「…俺は、どこかで絶対に生きてると思ってるよ」 強く言い切った龍を、静かに遮ると。 瞳の奥が、大きく揺れた。 「…春海。それは…」 「わかってる。都合のいい妄想だって。状況から考えて、生きている可能性は限りなく低い」 「…わかってんならさ…」 「でも」 信じてる 信じたい 「死んだっていう、確かな手懸かりがないからこそ。俺は、楓は生きてると思ってる」 幼なじみとして 大切な友人としてでいい もう一度 君に会いたい たとえ君が どんな姿になっていようとも   真っ直ぐに龍を見つめると、戸惑うように目線を彷徨わせて。 手のなかのグラスを揺らし、苦々しいものを飲み干すような顔で残ったワインを飲み干した。 「…無理、だよ…」 「そうだね。でも、強く思ってればいつか奇跡は起きるんじゃないかって…そう信じたいんだ」 重ねるように、願いを言葉にする。 龍は、それには答えずに俯いた。 重苦しい沈黙が、俺たちの間に落ちる。 楓のことについて話したのは 10年ぶりだった 俺たちの間では タブーに近い話だったから それでも 俺のなかにはずっと楓の影があって それは龍のなかにも絶対にあるはずで 楓が死んだんだって確実な証拠がない限り 俺たちの中からその影が消えることはない やっぱりもう一度諦めずに探してみよう どんな些細な手懸かりでもいい なにかわからない限り 俺たちはあの日から前に進むことが出来ないんだから 「…あのさ、龍」 新たに決意した気持ちを伝えようと、口を開いたとき。 テーブルの上に置いてあったスマホが、通話の着信を告げた。 「あ、ごめん」 応答するためにそれを持ち上げて。 でも、そこに表示されてた名前に、固まった。 …こんなときに… なんてタイミングだよ… そのまま応答せずに鞄に突っ込むと、龍が訝しげな視線を投げてくる。 「いいの?俺のことは気にせず、出たら?」 「いや…後で掛け直すよ。急ぎじゃないだろうし」 「そう?なら、いいけど…」 龍はそれ以上は聞かず、黙って新たなワインを自分と俺のグラスに注ぐ。 言い出すタイミングを失った俺は、そのまま口を引き結んで。 注がれたワインを、一気に飲み干した。

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