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不如帰(ホトトギス)5 side志摩

「はぁっ…はぁっ…」 息が切れて。 足がガクガクして、もう走れなくて。 僕は道の端に倒れるように踞った。 たった今走ってきた道を振り返ると、あの男の姿は見えなくて。 ようやくホッと息を吐き、少しずつ激しさを増す雨から逃れようと、ビルとビルの狭い隙間に身を寄せる。 ずぶ濡れになった髪からは、ポタポタと冷たい雫が止まることなく落ちてきて。 濡れてぴったりと身体に張り付いた薄手のTシャツは、容赦なく体温を奪っていく。 ガチガチと、歯の根が合わずに音が鳴る。 それは、寒さのせいか それとも… あの男への恐怖からなのか… 「さむ…」 嫌な記憶が蘇りそうで。 僕は無理やりそう口にして、この震えは寒さのせいだと自分に言い聞かせると。 両手で抱え込むように、自分の身体を自分で抱き締めた。 これから… どうしよう… もう家には帰れない 圭吾のとこにも でも街をうろうろしてたら またあの男みたいな変なヤツに捕まっちゃう だけど ホテルに泊まるお金なんてないし… 「ぐすっ…」 涙が、勝手に出てくる。 なんでこんなことになっちゃったんだろう… つい一週間前まで 僕は普通の高校生だったのに… 「うぅぅっ…助けて…ぐすっ…誰か、助けて…」 怖くて 不安で 心細くて 心が張り裂けそう 助けて 助けて 助けて 誰か……… 「君、大丈夫かい?」 激しい雨音に紛れ。 世界の隅っこで踞る僕に、かけられた声。 反射的に顔をあげると、そこには。 「みーつけた」 「ひっ…」 たった今逃げてきたはずの男が、ニタリと悪魔みたいな笑いを浮かべて見下ろしてた。 「いけないなぁ~、ご主人様から逃げるなんて」 「い、嫌っ…!」 「いけない子にはぁ~お仕置き、ね?」 伸びてきた手を振り払って、立ち上がろうとしたけど。 ガタガタと震える身体は、力なんか入らない。 「どうしちゃったの?そんなに震えちゃって」 「嫌だっ!離してっ!」 「だ~いじょうぶ。ご主人様がた~っぷり可愛がってあげるから」 「嫌だっ!助けてっ!誰か、助けてっ!」 無理やり抱き込まれ。 遠巻きに僕を見てる人たちに助けを求めるけど。 「ああ、こいつはΩでね。僕の番なんですよ。番であるΩをどうしようが、それは僕の自由でしょう?」 男がまるで演説でもするように、そう言い放つと。 みんな傘の下に顔を隠して、立ち去っていく。 「たす…けて…だれ、か…」 伸ばした手は、虚しく宙を彷徨うだけ。 「さぁ、いい子だ。帰ってお仕置きの時間だよ?」 おぞましい笑顔に、全てを諦めて目を閉じた。 「おい、てめぇ」 その時。 怒りを含んだ低い声が、響いた。 「嘘ついてんじゃねぇよ。そいつは、てめぇの番じゃねぇだろ」 びっくりして目を開くと、そこにはヤクザみたいな厳つい顔の男の人と。 その一歩後ろに、線の細い、優しそうな綺麗な男の人が立ってる。 「は?なに言って…」 「本当に番になってんなら、Ωがそんなに嫌がるはずねぇんだよっ!」 「警察、呼びました。もうすぐここにきます。調べれば、その子に噛み痕がないことはすぐにわかるでしょ?後は、誘拐罪か暴行罪か…それはあなた自身がわかりますよね?」 厳つい方が、叫んで。 優しそうな方が、淡々とした口調でそう言うと。 男は、僕を離した。 突然自由になった身体は、やっぱり力なんか入らなくて。 ぺたんとアスファルトに座り込んでしまった。 「お、お、俺は、悪くないっ!悪いのは、フェロモン撒き散らして誘ってきたこいつだっ!」 男は二人組にそう喚き散らして。 雨のなかを傘も差さずにどこかへと走り去っていく。 「おーおー、逃げ足だけは早いことで…ってか(しゅう)、おまえいつの間に警察なんか呼んだの?」 「呼んでないよ。口から出任せ」 「…おまえって、怖いヤツ…」 2人が話してるのを、呆然と見上げていると。 柊、と呼ばれた優しそうな方が僕の視線に気付き。 しゃがんで僕と目線を合わせ、傘を差しかけてきた。 「大丈夫?」 差し伸べられたのは、身体に似合わない大きくて指の長い、真っ白な手。 「怖がらなくていい。俺たちは、君に危害を加えたりしない」 その手を取るのを躊躇してると、ふわりと柔らかい笑みを浮かべる。 それはまるで 天使の微笑みみたいで 思わず息を呑んで見惚れていると、その長い指がそっと頭を撫でた。 「俺たちは、君と同じΩだよ。だから…安心して?」

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