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不如帰(ホトトギス)12 side志摩
音が
聞こえる
それはまるで
天使の歌声のように清らかで美しい音
重い瞼を開くとそこには
眩い陽の光に縁取られた
大きな真っ白い羽を持った天使がいた
「…あ…」
瞬きをすると、真っ白な羽は消えて。
天使はたちまち人間の姿になった。
小さな声で呻いただけだったのに、ピタリと音が止まって。
ピアノの前に座っていた人が、振り向く。
「ごめん。起こしちゃった?」
申し訳なさそうに眉を下げたその人に、首を振って違うと答えた。
「気分はどう?なにか、飲む?」
ピアノの蓋を閉じ。
ゆったりとした足取りでベッドの傍まで歩いてきて。
朝の光のような、柔らかな暖かさを湛えた微笑みを向けてくれた。
「…僕の、お父さん…死んだんです。僕が10才の時に…」
なぜそんな話をこの人に始めたのか
自分でもわからない
でも止められなかった
まるで神に自分の罪を懺悔するように
目の前の天使に向けて、僕は溢れ出る言葉を唇から押し出した
「交通事故で…それからお母さん、僕を育てるために一生懸命働いてた…」
突然話し始めた僕に、一瞬目を真ん丸にしたけど。
すぐに優しい眼差しに戻ると、静かにベッドの傍らに膝まづく。
そうして、話の続きを促すように、その長い指で僕の髪をゆっくり梳いた。
「…1年前…あの人を連れてきたんです…もうすぐ新しいお父さんになる人よ…って…」
優しい人だった
笑った時の目尻の下がりかたが
少しだけ死んだお父さんに似てて
その隣で微笑んでたお母さんも
遠い記憶のなかと同じくらい幸せそうで
「…幸せな家族になるんだって…信じて疑わなかった…」
なのに
突然やってきたヒートが
全てを壊してしまった
「僕…自分がΩだって知ってたけど…なかなかヒートが来なくて…」
油断してた
覚えてるのは
訳のわからない熱さと
初めて覚えた強烈な快感
そして僕の上に乗っかって
獣みたいな唸り声をあげる
優しかったはずの人
「…お母さんに見つかって…おまえは悪魔だっ、て…おまえみたいなのは…私の子どもじゃないっ、て…」
胸が苦しくなって。
涙が勝手に零れる。
止めどなく流れるそれを。
細くて長い指が掬いとってくれた。
「僕…もう家にはいられないと思って…飛び出した…」
でも行くところなんてなくて
小さい頃からの親友だった圭吾に連絡した
「いいよ。泊めてあげるからおいでよって…優しく言ってくれたのに…」
僕を見た瞬間
目の色が変わった
「知らなかった…圭吾が、αだったなんてっ…」
壊したくなんてなかった
圭吾とはずっと友だちでいたかった
「…ずっと一緒にいたいって…そう言ってくれた、けど…」
「…受け入れられなかった…?」
それまで黙って聞いてくれてた柊さんが、静かに訊ねた。
それに、小さく頷く。
「僕…圭吾が眠ってる間に、逃げ出して…」
当てもなく町を彷徨っているとき
あの男に声をかけられた
「…縛られて…痛くて、怖くて…なのにっ…」
僕の身体は
歓喜の声をあげてた
「どうしてっ…!?どうしてっ…嫌なのにっ…」
声を上げて泣き出した僕を。
天使の腕が強く抱き締めてくれる。
「…僕、は…卑しい子なんだ…」
お母さんも
あの男も
みんなそう言った
僕の存在が
みんなを狂わせるんだって
「違う」
「でもっ…みんながっ…」
「違うよ?志摩は、卑しくなんてない」
静かな。
でも力強い声が。
鼓膜を優しく揺らした。
「俺もね…そう思ったことがある。自分が全部悪い。みんなを狂わせるのは、自分なんだって。自分の存在が悪なんだって…」
「…しゅ…さん…も…?」
「でも…こんな俺でもいいんだって…こんな俺がいいんだって…そう言ってくれる人がいた…その人のために…俺は今、生きてる」
「それ、は…」
柊さんは、ほんの一瞬だけ、切なそうに瞳を揺らして。
「今はわからなくても…いつかきっと、志摩にもそういう人が現れる」
「そんな、の…」
「それに、さ…俺、志摩のこと好きだよ?まだ知り合ったばかりだけど…志摩といると心のなかすごく温かくなるし、志摩のことすごく可愛いと思う。もっと一緒にいたいって。だから…いいんだ。そのままの志摩で、生きてていいんだよ?俺の傍で、ただ笑っててくれるだけでいいんだ。それじゃ、ダメかな?」
それは
ずっと欲しかった言葉
誰かに言って欲しかった
僕は
この世界にいてもいいんだって
「柊さんっ…」
「ここに、いていいんだ。俺と一緒に生きていこう?」
優しく微笑む天使の温かい腕のなかで。
僕は涙が枯れるまで泣いた。
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