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不如帰(ホトトギス)18 side和哉

「…ねぇ、受ける気になった?菊池さんの話」 そのまま黙って視線を落とし、ご飯を口に運ぼうとしたところに、今度は口に出して問いかけると。 チラリと一瞬だけ俺を見て、再び目を逸らし。 箸で掬ったご飯を口に放り込んで、もそもそと咀嚼し始めた。 その間黙って答えを待っていると、喉を鳴らしてそれを飲み込んだ後、大きく息を吐き出す。 「…断ろうと思ってる」 「なんでっ!?」 思わず、勢いよく立ち上がってしまった。 反動で座っていた椅子が、ガタンっと大きな音を立てて倒れた。 「…和哉、椅子…」 「なんでっ!?こんなにいい話、なんで断るのっ!?」 「…俺は、日本に帰る気はない」 「なんでだよっ!なんで、そうやって自分の才能を勝手に腐らせようとするのっ!?そんなの、俺が許さないっ!絶対にっ!」 「…和哉…」 1ヶ月前 蓮さんの元に舞い込んできた話は 日本でいくつかホテルを経営している菊池という男が蓮さんに目をつけて 今度新しく都心に作る予定のホテルに彼を支配人として招きたいというものだった 菊池保孝(きくちやすたか)という男のことは俺も知っていた 彼の家は代々続く地方の小さなホテルを経営していて 彼の父の代には倒産寸前だったという 父の急逝で大学を卒業してすぐに経営者となった彼は 徹底的なコストカットやリノベーションによる顧客層の転換を計り ほんの数年で倒産寸前だったホテルを立て直した 30歳になるかならないかの若さでそれを成し遂げた彼は、当時経済雑誌で大々的に取り上げられて まだ学生だった俺は、わくわくしながらその記事を読んだのを覚えている こんな人と蓮さんが仕事をしたら面白いのに、と その後、菊池は系列のホテルを関西圏や中京圏に作ることにも成功し 満を持して今、首都圏進出を始めようとしているという話だ 『そのホテルの支配人を、是非九条くんにお願いしたいんだ。申し訳ないが、君のことはいろいろ調べさせてもらったよ。そして、働きぶりもね。その上で、君しかいないと思った。どうしても君が欲しい。考えてみてくれないだろうか?』 熱い眼差しでそう訴える菊池を、蓮さんの隣でわくわくしながら見ていた 俺が夢見ていたことが現実になる 蓮さんの力を 日本中に見せつけるチャンスがやってきたんだ それなのに… 「だから…おまえは俺を買い被りすぎだって。俺にはそんな大した力は…」 「違うっ!蓮さんはすごい人だっ!どうしてっ…」 「…俺は…たった一人の愛する人を守ることも出来なかった、非力な…くだらない男なんだよ…」 俯き、絞り出すように落ちた言葉は、深い絶望に満ちていて。 思わず、言葉を飲み込んだ。 『たった一人の愛する人』 もう何年も一緒にいて。 あなたが意思をもってあいつのことを口にしたのは、それが初めて。 だからこそ。 その言葉の重さに、俺はなにも言えなかった。 「…もういいだろ、この話は。せっかくの飯が冷めちゃうぞ。今日はおまえの買い物に付き合う予定だったよな?早く食べようぜ」 全てを諦めたような穏やかな表情で、そう言って。 何事もなかったように食事を再開した蓮さんを。 俺は、息苦しくなるほどの胸の痛みを抱えて、見つめた。

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