105 / 566
不如帰(ホトトギス)9 side志摩
「はい、息を吸って~、吐いて~、もう一回吸って~」
那智さんに怒られて、ようやく白衣を着た誉先生が、僕の胸やお腹に聴診器を当てる。
そうやってるとちゃんとしたお医者さんに見える
白衣の効果って絶大だなぁ
「吐いて~吐いて、吐いて~、はい、ひっひっふー」
「へっ!?」
「バカ!ラマーズ法なんかやらせんな!」
バチンと、那智さんが誉先生の頭を叩いて。
「いや~ごめんごめん。つい、ね」
先生はヘラヘラと笑った。
…前言撤回
ちゃんと、じゃなくて
ふざけたお医者さんでした…
「ったく…ちゃんとやれよ!」
「わかってるよ。ちょっと志摩くんの緊張を解してやろうと思っただけだろ~?」
「おまえのは、どこまでふざけてて、どこまで本気かわかんないんだよっ!」
また、那智さんが誉先生に怒り出して。
つい柊さんを振り返ると、「また始まったよ」って言いたげに肩を竦める。
その穏やかな表情に、ホッとした。
また
あんな切ない目をしてるんじゃないかって思ったから
「医者ならちゃんと診察しろ!」
「わかってるよぉ…じゃあ、志摩くん。初めてヒートが来たのは、いつ?」
「…今回が、初めてです…」
「そっか。平均より遅めだったんだね。今、いくつだったかな?」
「高校二年生です」
何気なく答えて。
ツキン、と胸が痛みを訴えた。
もう
高校になんか通えない…
圭吾には会えない
それに
家にだって…
思わず項垂れた僕の肩に、そっと温かいものが触れて。
振り向くと、柊さんが微笑みを浮かべていた。
まるで全てわかってくれてるように
その優しい微笑みに、少しだけ苦しさが和らいで。
僕はもう一度、誉先生に向き直った。
「抑制剤は?飲んでなかったの?」
「はい。うち、母子家庭でお金がなくて…そんな高価な薬、買えなかったから…」
「今は、そういうご家庭にも自治体から補助が出るんだけど…お母さんは、知らなかったのかな?」
「え、そうなんですか?」
「うん」
「…母は、なにも…」
「そっかそっか」
また俯いてしまった僕の肩を、今度は誉先生が宥めるようにポンと軽く叩く。
「じゃあ、初めてだから、一番身体に負担のかからない抑制剤からにしようか。本当はヒートがくる一週間前から飲めばいいんだけど、志摩くんの場合、まだ周期が安定してないかもしれないし、若いΩだと周りにいるΩのヒートに引き摺られることも稀にあるからね。ここにはΩが二人もいるから…処方する薬、念のため今日の夜から飲んでみてくれる?予防だと思って…」
「あ、あのっ…」
淀みなくスラスラと説明を続ける先生を、慌てて遮った。
「ん?」
「薬って…僕、お金持ってないんで…」
「ああ。そこは気にしなくていいよ。いつか、払える時が来たら、返してくれればいいから」
「ええっ…!?だめです、そんなのっ…」
「いいからいいから。今まで、みんなそうだから。柊もそうだし」
「え…?」
目尻のシワを深くして微笑む先生の言葉にびっくりして、思わず振り向くと。
柊さんは、苦笑しながら頷いた。
「俺も…ここに来たときは、なにも持ってなくてね。その時は手術もしてもらったし、今の志摩よりずっとお金がかかったんだ。だから、素直に甘えちゃえばいいよ」
「…でも…」
「…抑制剤もなく生きていくのは、本当に危険だよ?それはよくわかったでしょ?」
その言葉に、あの男のぞっとする下卑た笑い顔が思い出されて。
背筋が震える。
もうあんな怖い思いをするのはいやだっ…
思わず両手で自分を抱き締めると、後ろから優しい腕が包み込んでくれた。
その甘い香りとともに。
「じゃあ、薬出しておくから、飲み忘れないようにね?3ヶ月後に、診察にきてください。合わないようだったら、別の薬を出さなきゃいけないからね」
「…はい。ありがとうございます」
頷くと、子どもをあやすようにポンポンと頭を撫でられた。
ともだちにシェアしよう!