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翡翠(かわせみ)2 side志摩
「ねぇ…ここの解き方、わかんない」
華奢な背中に声をかけると、ピタリと音が止んで。
すぐに、ラグにぺたんと座ってる僕の傍へと歩いてきてくれた。
「どこ?」
「ここ」
「ああ、これは…ここの公式を当てはめて…」
僕が握ってたシャーペンを受け取り、さらさらと淀みなく白いノートに数式を書いていく。
「で、こうすれば解ける」
「…すごい」
柊さんは、すごく頭がいい、と思う。
そして、教え方がすごくわかりやすい。
僕が通ってた学校の先生より、何倍も。
「そんなことないよ。俺、高校んときは落ちこぼれだったし」
「えぇっ!?うそっ!?」
「ほんと。でも、すごく頭の良い兄がいてね。いつも教えてもらってた。すごいスパルタなんだけど、わかりやすかったから…それがきっと、今でも残ってんだろうね」
そう言った柊さんは、どこか幸せそうで。
でも、すごく寂しそうにも見えて。
思わず、その細い腕を掴んでいた。
「志摩…?」
そういえば。
柊さんの家族の話って、初めて聞いた。
「…お兄さん、いるの…?」
いけない好奇心が、むくむくと沸き上がってきた。
誉先生のところに集まるΩの男性は、多かれ少なかれ心に傷を抱えた人ばかりだって聞いた。
それはたぶん、Ωである限り避けようのない傷で。
僕だって同じ。
触れてほしくないし、そこに触れちゃいけないんだってわかってる。
でも、知りたい。
この人のこと、もっと知りたい。
「…うん。いるよ」
「二人兄弟?」
「…ううん、弟もいる」
「いいな。僕ひとりっこだから、兄弟欲しかったんだ」「…そっか」
「仲、良かった?」
「…そうだね…たぶん…」
その瞬間、その漆黒の瞳がゆらりと大きく揺れて。
それを隠すように、目蓋が落とされた。
踏み込んではいけない場所へ踏み込んでしまったんだとようやく気付いて
血の気が引いた
「ご、ごめんっ…」
慌てて謝った。
「ごめんっ!変なこと聞いて、ごめんなさいっ…」
「…大丈夫。志摩が謝ることなんてないよ」
怒られるのが怖くて。
必死ですがりついた腕を、そっと掴まれる。
「少し…懐かしく思い出しただけ。…幸せだった頃のこと」
「…え…?」
幸せだった頃…?
辛かった頃じゃなくて…?
だって今
一瞬だけどすごく哀しそうな顔してたのに…
不思議に思って、またうっかり口を滑らせてしまうと。
柊さんは困ったように顔を歪めた。
「そうだね…思い出したくないくらいツラいと思うこともあるけど…でも、すごく幸せな記憶でもあるから…」
「ツラい、けど…幸せ、なの…?」
また首を傾げた僕の頭を、その顔のまま、ポンポンと軽く叩く。
「…そうだね」
「どうして?ツラいと幸せって、反対じゃないの?」
「うん…でも、俺のなかでは同じところにあるんだ」
柊さんの話は、僕に難しくてよくわからないけど。
「…いつか…俺の話も志摩に聞いてもらおうかな。誰かに話せたら…少しは楽になるのかもしれないしね…」
遠い過去へ思いを馳せるように、窓から見える空を眺めた柊さんの横顔は、胸が締め付けられるくらいに綺麗で。
僕は込み上げそうになる涙を堪えながら、その横顔を見つめていた。
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