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翡翠(かわせみ)4 side志摩

タクシーが着いたのは、オフィス街のビル群のなかの一つ。 そのビルは、外観は他のオフィスビルとちっとも変わらなくて。 「こ、こ…?」 こんなところに本当に高級クラブがあるのかと半信半疑で車の窓から見上げていると、タクシーはビルの正面玄関ではなく、地下駐車場へと滑り込んだ。 運転手に礼を述べ、代金を払うことなく降りた柊さんの背中を、慌てて追いかける。 「あ、あのっ、お金は…?」 「あの車は店で契約してるものだから、大丈夫だよ」 なんでもないことのようにさらりと告げて。 駐車場の隅にある、非常ドアみたいな目立たないくすんだ灰色のドアを開けた。 ドアを開いたら狭いエレベーターホールがある。 乗り込んだエレベーターのなかには、ボタンが一つだけ。 それはまるで 秘密の花園への誘いのように 柊さんの長い指がそのボタンを躊躇なく押すと、微かな振動音とともに、その箱が動き出した。 こんなエレベーター 一見さんじゃ絶対見つけられないよねぇ… それっぽい看板もどこにもなかったし いったいどんなところなんだろ…? 階数表示もないその箱のなかで、高まる緊張にぎゅっと手を握りしめていると。 すぐに振動が止まって、静かにドアが開く。 目に飛び込んできたのは、ビロードの赤い絨毯の引かれた大きな階段。 少し前にDVDで見た美女と野獣に出てきたお城のセットみたいな。 なにここ… これがクラブ…? お母さんのお店とは、全然違う… 「おはようございます。姐さんは、もう奥でお待ちです」 開いた口を閉めるのも忘れて、呆然とその階段を見つめていると、階段の裏から黒いスーツを着た、すごく身体の大きい、顔にでっかいキズのある、いかにもそっちの筋です!みたいな男の人が出てきた。 「ひっ…」 思わず悲鳴を上げて、柊さんの後ろに隠れると。 柊さんはクスクス笑って、大丈夫だよって感じで僕の手を握る。 「おはようございます、石関さん。姐さんって呼ぶと、また那智さんの飛び蹴り食らいますよ?」 「あっ、すいませんっ!つい、癖で…」 「志摩、この人は受付の石関さん。石関さん、この子が今日から働く志摩です。可愛がってやってくださいね」 か、可愛がるって…どうやって!? 柊さんのセリフに、さらにびくびくしてると。 石関さんは僕の身体を値踏みするように上から下まで舐めるように見て。 唐突に、ニカッと笑った。 「がんばれよ、チビ」 「ようこそ。Angel's ladderへ」 階段の裏にあるオーナー部屋のドアを開けると、きっちりと髪をオールバックに撫で付け、紺色のスーツに身を包んだ那智さんが、僕に向かって仰々しく頭を下げた。 普段の印象とはまるで違う、洗練された大人な雰囲気に呆気にとられて。 挨拶も忘れて立ち尽くしていると、柊さんはまたクスクス笑いながら僕の背中を押して、部屋の真ん中まで連れていく。 「…柊、なに笑ってんだ」 「志摩がビックリしてるよ。いつもとは別人みたいだから」 だけど、笑う柊さんをじろりと睨んだ瞬間、いつもの那智さんが現れて。 ちょっとだけ、無意識に身体に入ってた力が抜けた。 「じゃあ、あとはよろしく。志摩、またあとでね」 柊さんが部屋を出ていくと、那智さんはもう一度このお店の説明をしてくれる。 それは事前に聞いていたものと、殆ど同じことだったけど。 ひとつだけ、まだ聞いていなかったことがあった。 「おまえには当分関係ないが…店での仕事とは別にアフターって仕事も、ある」 「アフター?」 「まぁ、簡単に言えば、身体を売るってことだ。さっきも説明したけど、店の中では手を繋いだり肩を抱いたりする以上の過剰なスキンシップは禁止だ。だが、それで満足できない客も中にはいるし…満足できない従業員もいる」 「え…」 びっくりして固まった僕に、那智さんは肩を竦めてみせた。 「一概にΩだって言っても、人それぞれさ。おまえみたいに、ヒートが嫌な記憶としてこびりついてる奴もいれば、ヒートを肯定的に捉えている奴もいる。抑制剤なんて使わないで、むしろヒートを喜んで享受する奴だってな」 「…そんなひと、いるんですか?」 「まぁ、うちの店にはいないが、な。こんな広い世の中だ。そういうのだってアリさ」 あんな地獄みたいな時間を喜ぶ人がいるなんて 信じられない 「…ヒートを憎んでいても、どうしてもそれに抗えない奴だって、な…」 最後に小さく呟いて、那智さんはどこか遠い目をする。 その瞳がすごく悲しそうで。 もしかして それは那智さんのことなのかなって なんとなくそう思った 「ま、おまえにはまだまだ関係ない話だし。一応の知識として、頭の片隅にでも置いておけ」 だけど、瞬きをするとその悲しみの色は一瞬で消え去って。 いつもの那智さんが戻ってきた。 「それじゃ、みんなに紹介するからついてきな」

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