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翡翠(かわせみ)11 side楓

「…ヒートが来たんだ」 志摩の背中を見送って、誉さんへ電話をかけると。 向こう側で息を飲んだ気配がした。 『…本当か?』 「うん」 『…やっぱり、あの薬でもダメか…』 「うん…ごめん…」 『いや、おまえが謝ることじゃないが…』 今回の薬は、日本では流通してないアメリカの最先端のものを誉さんが苦労して手にいれてくれていた。 それなのに… 「だから、その間志摩を頼みます」 『それはもちろん構わないが…おまえは?一週間、どうするつもりだ』 「…なんとかなるよ」 『…俺が、行こうか?』 「ダメだよ。那智さんが悲しむ。平気な顔してるけど、本当は誉さんが俺を抱くたび、すごく傷付いてるんだから…」 俺の身体は どんなに強い抑制剤を飲んでも すぐに効かなくなってしまう そして 一度ヒートが起きると 終わるまでの一週間の記憶は殆ど残らない それは たぶん無意識の防御反応なんだろうと誉さんが言っていた 忌まわしい記憶から身を守るための それはきっと間違いではないんだろう 九条の家を出てから 那智さんに救われるまでのあの地獄のような日々のなか そうでもしなければ自分を保つことが出来なかったから 抑制剤が効かず 激しいヒートに苦しむ俺を 誉さんは治療のためという建前で抱いて、αの精子を注いでくれた 俺にその記憶は殆どないけれど ヒートが終わり、正気に戻ると、俺は誉さんの腕の中にいて その肩越しに見える那智さんの頬に落ちた、悲しそうな影に、胸が傷んだ 番、というのはΩ側からはいないと生きていけないほどの、唯一無二の存在だけど αは持とうと思えば何人でも番を持てるから、αにとって番とは、簡単に替えの効く存在なのかもしれない もちろん、誉さんと那智さんが互いをとても愛していることは疑いようのない事実だし、たとえ誉さんが那智さん以外のΩを抱いても、心は那智さんの元にあるのだということはわかっている でも 番を得たΩは他のαとは決して交わることは出来ないんだ 那智さんは仕方がないと笑うけど その心の痛みは嫌というほどわかる 俺も 蓮くんが俺以外の誰かをその腕に抱いていることを想像するだけで 狂ってしまいそうな獰猛な嫉妬が身体中を駆け巡るから 「…っ…」 『柊?どうした?』 「なんでも、ないっ…」 馬鹿げたことだとわかっている もう10年だ 蓮くんは俺のことなんか忘れて もうとっくに別の番を見つけてるだろう そうじゃなきゃいけない 蓮くんが 俺と同じ想いを抱いていてはいけない こんな薄汚れた俺のことを 今でも忘れないでほしいなんて願いは あの日の俺のように この世界の片隅に捨てられていなきゃいけない そう、頭ではわかっているのに…… 「…ぅ…ぁ…」 身体の奥から、沸騰しそうな熱さの何かが、溢れ出す。 慌てて蓮くんの姿を脳裏から追い出したけど、もう手遅れだった。 『柊っ!?おいっ…』 「俺は…大丈夫、だからっ…志摩のこと、お願いしますっ…」 なにか言いたげな誉さんを遮って、通話を終わらせた。 「…っは…ぁっ…」 次々に溢れ出す熱が、狂ったように身体中をのたうち回って。 地獄の底へと引き摺り堕としていく 服を脱ぎ捨てながら、クローゼットの奥にしまいこんでいたディルドを取り出して。 ベッドの上に、崩れるように寝転んだ。 足の間へと手を伸ばし、もう硬く勃ちあがったモノを握る。 反対の手で後ろに手を回せば、そこはもう溢れ出る体液でぐちょぐちょに濡れていて。 暗く深い絶望という泉に身を沈めながら、その冷たい塊を自分の中に押し込んだ。

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