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翡翠(かわせみ)17 side楓

ソファで転た寝していると、唇に温かいものが触れて。 重い目蓋を持ち上げると、目の前には美しい切れ長の瞳。 「おはよう、眠り姫」 「…姫じゃ、ありません…」 「起きれるかい?出来たから、温かいうちに食べよう」 抗議するために尖らせた唇の先にキスされて。 背中を支えて起こしてもらい、下着とTシャツまで着させてもらった。 「何から何まで、すみません」 「かまわないよ。というか、寧ろ君の世話をするのが楽しくて仕方ない。僕自身も、新たな発見だ」 本当に楽しそうな様子に、俺も笑顔を返す。 「うわ…美味しそう」 ソファの前にあるローテーブルには、ベーコンとほうれん草のクリームパスタが2つ乗っていて。 美味しそうな匂いに、心が浮き立った。 「さあ、どうぞ」 フォークを持たされて。 「いただきます」 少し不安げな眼差しに見つめられつつ、フォークに巻き付けたパスタを口に運ぶ。 途端、口のなかに牛乳とコンソメの優しい味が広がって。 「美味しいっ!」 つい、叫ぶと。 伊織さんはぱっと顔を輝かせた。 「口に合ったようで、良かった」 「すごい…こんな短時間で。料理、本当に得意なんですね」 「本当にって…ひどいな」 「ふふふっ、ごめんなさい」 笑いながら謝ると、俺の頭をポンポンと軽く叩いて。 ようやく、自分の分を口に運ぶ。 「うん。即席にしては、上出来だな」 「いつも料理を?」 「いや、普段は時間がなくてなかなかね…。どうしても外食が多くなるし。だから、たまの休みには朝から煮込み料理に取りかかったりする」 「ええっ!?すごい!」 「だけど、ストレスが溜まるとついつい作りすぎてしまってね…ひとりじゃ食べきれなくて、秘書たちに無理やり押し付けてたら、最近じゃ嫌がられるようになってしまったよ」 困ったように頭を掻く横顔が、どこか寂しそうに見えて。 「…一緒に食べてくれる人、いないんですか?…恋人、とか」 思わず、訊ねてしまった。 お店では、あまりプライベートな話題を投げ掛けることは禁じられているけど、自宅という空間がそのハードルを下げてしまったのかもしれない。 ビックリしたように目を見開いた伊織さんを見て、まずいことを聞いてしまったと、後悔したけれど。 伊織さんはすぐにまた微笑みを浮かべ、俺の肩をそっと抱いた。 「いないよ。僕はひとりでいい」 「どうして…?」 「…僕は、αが嫌いなんだ。もちろん、僕も含めてね」 「え…」 「偶然に生まれ落ちた性別で優劣が決まるなんて、冗談じゃない。そう思わないかい?」 「…それは…もちろん、そうですけど…」 驚いた。 それはΩやβの人間が思うことであって、αがそんなことを考えるなんて思ってもなかった。 「…自分を嫌いな人間が、誰かを幸せに出来るはずがない。だから、僕はひとりでいい」 淡々とした口調で、そう言いきって。 伊織さんはじっと俺の顔を見る。 きっとこの人にも 人には話したくないような辛い過去があるんだろう 直感的にそう感じて。 思わず手を伸ばし、その頬に触れた。 伊織さんは目を細めて、俺の手の上に自分の手を重ねる。 「本当に、そう思っていたんだ…君に、出会うまではね」 「え…?」 グッと、掴まれた手に強い圧がかかる。 反射的に手を引こうとしたけど、強い力で阻止された。 刺すような強い眼差しが、俺を縛る。 「伊織…さん…?」 「僕の腕の中で乱れる君を見て…とても愛おしいと思った。僕を受け入れて、恍惚とした表情を浮かべる君を、喉から手が出るほど欲しいと思った。嵐のようなあの時間を君と過ごせたこと…僕は、生まれて初めて自分がαであることを神に感謝すらした」 「あ、あのっ…」 のめり込むように、顔を近付けられて。 仰け反って逃れようとした腰に手を回され、ぐいっと引き寄せられた。 「柊…僕の番になってはくれないだろうか?」 間近にある黒曜石の瞳が、美しく煌めいた。

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