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翡翠(かわせみ)19 side楓
俺たちの騒ぎで、昼寝中の誉さんも起きてきて。
そのまま診察室に入れられ、服を全部脱がされて、身体の隅々まで確認された。
特に、無数の傷痕が残る左腕を重点に。
「うん。いいね。服を着ていいよ」
誉さんは何度も頷くと、カルテになにかをボールペンで書き込みながら指示する。
建物の佇まいと同じような、一時代前みたいなアナログなその姿は、きっと誉さんの好みなんだろうなぁ、なんて考えながら、シャツのボタンを閉め終わると。
椅子に座るように、促された。
「体重が5kg減ってる以外は、異常なし。顔色も悪くないし…那智の作戦が、成功したかな」
誉さんはにっこりと微笑んで。
俺の左腕を取り、手のひらでゆっくりと腕を擦る。
「今回は新しい傷もないようだし…本当によかった」
「…ごめん…」
心底ほっとしたように言われて。
俺は肩を小さくして謝るしかなかった。
この左腕につけられた無数の傷は
全部自分でつけたもの、らしい
ヒートに入ると
毎回必ず自分で自分を傷付けるのだと誉さんが言っていた
殺してくれと泣き叫びながら
その話をしてくれた誉さんは
見たこともないくらい苦しそうで
悔しそうで
ヒートが終わり新しい傷が増えているのを見つけるたびに
酷い後ろめたさを感じていた
「…なにが違った?僕を含めたαと…伊織先生と」
誉さんは、穏やかに凪いだ水面のような静かな眼差しで、そう問いかける。
「…わかんない…よく、覚えてないから…」
「そっか…」
「…でも…」
ひとつだけ、思い当たることがあるとすれば。
「…匂い、かも…」
「匂い…?」
「うん。フェロモンの、匂い」
伊織さんのそれは
あの人によく似ていた気がする
だから俺は
ずっと蓮くんの夢を見ていたんだ
「匂い、か…」
俺の答えを反芻して。
誉さんはなにかを考え込むように、宙に視線を投げた。
「…もしかしたら、ひょっとするのかも」
「え?」
「なぁ、柊。おまえ…伊織先生の番になる気はないのか?」
そうして、唐突にその話題に触れる。
「は…?」
「昨日、先生から那智のところに連絡がきてね。君を番にしたい、その許可が欲しいと」
「っ…那智さんは、なんて…!?」
「おまえがいいなら、かまわないと、そう答えていたよ」
誉さんの口から発せられた言葉に。
頭から氷水をぶっかけられたような気が、した。
ふわふわと現実味のなかった思考が突然クリアになり。
指先が一瞬で冷えて、小刻みに震えだす。
「…無理…だよ…」
そうだ
何を舞い上がっていたんだ、俺は
「俺は、誰とも番にはならない…ううん、なれない」
そんなこと
とっくにわかりきったことだろ
「それが一番わかってるのは、誉さんでしょ?」
「…柊、それは…」
「俺は、もう子どもが産めない。誉さんが、そう言ったんだよ」
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