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翡翠(かわせみ)20 side楓
10年前のあの日。
病院を抜け出し、街の片隅で動けなくなった俺は。
一人の男に拾われた。
その男は、関東一円を取り仕切っているヤクザの一員で、裏ではΩ専門の売春に関わっていた人物だった。
俺は監禁され、半年の間αの政治家や大企業の取締役たちを相手に売春させられていたところを、那智さんに救いだされた。
那智さんは男が所属していたヤクザの関係者だったらしく、自分の私腹を肥やすために組の掟を破り、Ωを喰いものにしていたその男を、ずっと追いかけていたのだという。
客の相手をさせるための違法なヒート促進剤とアフターピル、そして逃げ出さないようにと麻薬を日常的に投与され、見知らぬ男たちの相手をさせられていた俺は、内臓までボロボロの瀕死の状態で発見され、誉さんの診療所に担ぎ込まれて、なんとか命は取り留めた。
だけど、その地獄のような半年間の記憶は、俺の中には断片的にしか残っていない。
明かりの抑えられた薄暗い部屋の天井に映る影と。
俺を見下ろす獣のように血走った瞳。
それが古い写真のように、色褪せたまま記憶の深いところに朧気にこびりついて残っているだけだ。
そこに自分の感情はなにもない。
痛みや苦しみといった感覚さえも。
それは恐らく、麻薬と強いヒート促進剤の副作用のせいだろうと誉さんは言っていた。
俺が投与されていたその薬は、服用を続けると精神に異常をきたすことが確認されている、世界でも販売が禁止されている危険な薬だったらしい。
そしてもう一つ、誉さんが俺に告げたのは。
もう二度と妊娠は出来ないかもしれない、ということ。
それは薬のせいもあるけど、その前に受けた手術に原因があるようだった。
俺の堕胎手術を行った医者は、どうやら無免許の闇医者だったようで、手術の時に子宮を傷付けた形跡があり、そのせいで俺は妊娠しにくい身体になってしまったらしい。
受精しても、うまく着床せずに流産してしまう可能性が高いと。
そう聞かされた瞬間、俺は罰を受けたんだと思った。
俺の身体に宿った、なによりも大切だった命を守れなかった罰を。
自分の命と引き換えにしてでも
慈しみ、守りたかった命は
もう二度と手の届かないところへ逝ってしまった
俺の弱さのせいで
だから
俺は夢を見てはいけない
こんな俺に
そんな資格はないんだ
「柊、あまり思い詰めるな。確かに子どもが出来にくいかもしれないとは言ったが、全く出来ないとは断定してないんだ。あの頃はそうだったかもしれないが、おまえの身体はとっくに回復しているし、相性のいいαと番になったら、可能性はゼロじゃない。それに、子どもを産むことだけが番になる意味じゃないだろ。番になるってのは…」
「ありがと、誉さん。俺、大丈夫だから」
焦ったように捲し立てる誉さんを。
俺はやんわりと制した。
「子どもが産めても産めなくても、俺は一生誰とも番にはならない。そう、決めてるから」
忘れるな
俺が今生きているのは
決して自分が幸せになるためなんかじゃない
俺が
今生きているのは………
その時、かつて龍に噛まれた肩の傷がずきりと痛んだ。
あの時を、決して忘れるなとでも告げるように。
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