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翡翠(かわせみ)22 side楓

その後は、いつものように伊織さんの話を俺が聞く時間に戻った。 だけど、いつもは世間話や自分の趣味の話が中心なのに、珍しく仕事のことを語りだした。 「僕はね、もっとΩの人権は守らなければならないと思ってるし、それをαの僕がやることが意味があると思ってる。昔に比べたらずいぶん良くなったとはいえ、まだまだΩにとって日本の社会は生きやすいとは言いづらいからね。民主主義は多数決が基本だが、だからといって圧倒的少数派の意見が蔑ろにされるような社会であってはならないんだよ」 使命感に燃え、熱く未来を語る眼差しを受け止めながら、いつかそんな日が本当にくればいいと、僅かばかりの期待を込めてその話に耳を傾ける。 「君は、どう思う?」 「私は…」 話の矛先を向けられて。 ぐるりとフロアを見渡した。 同じ制服を着た仲間たちは、皆穏やかな顔で接客したり、動き回ったりしているけれど。 それぞれに辛い事情を抱えて、ここに辿り着いた人ばかり。 志摩や涼介のように、高校を出ることすら出来なかった人も多い。 抑制剤で完全にヒートを抑え込むことが出来れば、αやβに混じって社会で普通に生きてはいける。 でもそれは、多くの場合Ωとしての自分を隠し、βと偽ることが条件だ。 かつての俺のように。 Ωだとわかれば、それだけで下級種族の烙印を押される。 例えどんなに能力が高くても。 Ωとして生まれた たったそれだけのことなのに 「私には、難しいことはわかりません。でも、こんな店がいらないような…私たちΩが…ううん、αもβも、どんな人も等しく生きたいように生きられるような、そんな世界が来ればいいと、そう思います」 生まれ落ちたその性に左右されることのない 誰もが等しく幸せを求められる世界 自分を偽ることなく ありのままの自分で生きられる世界 それを俺が見ることはないけれど いつか… そんな日がきたら… 「だから…早く、総理大臣になってくださいね?」 にっこり笑ってそう付け足すと。 伊織さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、固まった。 「…まさか、そんな反撃が来るとは…」 「反撃ってなんですか。私は、みんなが望んでいることを言っただけですよ?」 「…君は?君も、僕に総理大臣を目指せと?」 「ええ」 「そうか…柊が後押ししてくれるなら、本腰をいれるのも悪くないなぁ」 「今まで本気じゃなかったんですか?」 「いや、そういうわけじゃないけどね…」 「お話し中、申し訳ありません」 言葉遊びのような軽口を叩きあっていると、志摩が本当に申し訳なさそうな顔で会話を遮る。 「柊さん、次のご指名が…」 そう言われて、チラリと時計を確認すると、伊織さんのテーブルについてから一時間ほど経っていた。 そろそろ次のテーブルへ移らなければならない。 「相変わらず売れっ子だなぁ。みんな、君の復帰を待っていたんだな」 「そんなことはないと思いますが…申し訳ありませんが、私はここで失礼を。このままいらっしゃるなら、別の者を付けますが、いかがなさいますか?」 「いや、帰るよ。まだやり残した仕事があるのでね」 「そうですか。それでは…」 「柊、今日は店の後は空いてるかい?」 暇乞いを口にしかけたところで、唐突にアフターの誘いがくる。 もう既に熱の篭った眼差しを向けられて。 その熱に快楽の種火を付けられたように、身体が僅かに疼いた。 「…はい。今日は、まだ誰も」 「では、オーナーに会ってから帰るとしよう。それでは、また後ほど」 「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」 立ち上がり、出口へと向かう広くて逞しい背中を見送って。 熱の混じった息を吐き出すと、いつもの微笑みを作って次のテーブルへと向かった。

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