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翡翠(かわせみ)26 side蓮
暑いけれど、東京とは違うカラリと乾燥したダラスの風に吹かれながら、ゆっくりと街を歩いた。
いつもの公園の入り口に出ていたフードトラックでホットドッグとコーヒーを買い、いつもはランニングに使う公園内の湖沿いの道の脇に並んでいるベンチのひとつに腰を下ろす。
夏の眩い光を反射してキラキラと光る湖面と、その向こう側に見える高いビル群を眺めながら、ホットドッグを齧っていると。
すぐ横のベンチに人の気配がした。
何気なくそちらへ視線を向けると、そこに座っていたのは黒髪の大柄な男と、金髪の小柄で華奢な男。
なんとなく、雰囲気でαとΩのカップルだとわかる。
なぜか視線を外すことが出来なくて、不躾だとわかりつつ、ホットドッグを齧りながら横目で様子を伺っていると。
こっちへ身体を向けていたために俺の視線に気付いたらしいαの男の方が、その深いブルーの瞳を細め、挑発するような笑みを唇の端に乗せて、腕の中に抱き締めた金髪の男の、肩の下まで伸びた長い髪をかき上げた。
瞬間、露になったその白いうなじにくっきりと残された獣が噛みついたような痕が、目に飛び込んでくる。
思わず目を見開くと、勝ち誇ったように微笑んで。
見せつけるように、ゆっくりと金髪の男の唇を奪った。
信じられなかった。
楓が、俺になんのメッセージも残さずにいなくなるなんて。
そんなはずはない、俺にだけはきっとなんらかのメッセージを残すはずだ。
そう思うけれど、日本に帰るどころか、誰かに連絡することすらままならない状態では、龍の言葉が真実かどうかを確認する術もなく。
見えない鎖で雁字絡めに縛られて。
自由を奪われ、父の引いたレールの上を歩き続けるように強制される日々。
そうなって、俺は初めて気付いた。
今まで自分の力だと思っていたものは全て、父に与えられたものだったということに。
楓を守るための盾は、父のものだったのだ。
俺自身には、なんの力もなかった。
それに気付いた瞬間、今までの自分がガラガラと崩れ去る音が、聞こえて。
空っぽになった俺は、絶望と共に虚像だった自分を捨てて。
あの家を、捨てた。
隣の番たちから顔を背け、空を見上げると。
視界いっぱいに広がるのは、果てしなく続く雲ひとつない抜けるような青空。
それを眺めながら、左手首のブレスレットに触れた。
俺にもしミカエルのように翼があったのなら
あの時迷うことなくおまえの元へ飛んでいき
強く抱き締めて二度と離さないと誓ったのに
そんな詮無いことを考えて。
思わず苦笑が漏れる。
もう今さら何を言っても遅い
俺はミカエルなんかじゃない
あの時、繋いでいたはずの手を離したのは
真実などなにもわかっていない
ただの愚かな子どもだった俺だ
なぁ、楓…
おまえは気付いていたのか…?
俺の弱さ、俺の無力さに
おまえがあの家を出ていったのは
そんな俺に呆れたからなのか?
おまえを守ると言いながら
父に抗う術も持たなかった愚かな俺に
愛想が尽きたからなのか?
今、どうしてる…?
和哉はおまえはもうとっくに死んでいると言うけれど
運命の番である俺にはわかる
おまえはまだ
この世界のどこかにいる
元気にしてるか?
幸せになってるか?
俺なんか忘れて、他の番を見つけているだろうか
それとも…
今でも俺のことを忘れないでいてくれるだろうか
俺はおまえを忘れない
1日たりともおまえのことを思わない日はないよ
いつもこうやって空を見上げ
おまえのことを思っている
遠い国で
でも同じ空の下にいるはずのおまえを………
「ふ…相変わらずバカだな、俺は」
呟きは、乾いた風に一瞬でかき消された。
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