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翡翠(かわせみ)27 side蓮

急に味のしなくなったホットドッグを無理やり腹に流し込み。 ただ苦いだけのコーヒーを飲み干して。 ぼんやりと、太陽の光を反射してキラキラ光る湖を見つめた。 その湖面の輝きに。 いつか二人で見た江ノ島の海を思い出していた。 緩やかに流れる、風。 降り注ぐ眩いばかりの、日差し。 すぐ傍で揺れる、色素の薄い柔らかい髪。 仄かに香る、甘い花のような匂い。 俺だけを写す、黒翡翠のような美しい瞳。 幸せだった日の光景は、少しも色褪せることなく記憶の底に息づいていて。 狂おしいほどの愛おしさと。 それでいて、息が詰まるほどの哀しみで俺を満たす。 それが、楓が俺に残したもの。 喜びも哀しみも、苦しみも安らぎも。 俺の全ての感情は、おまえへと繋がっていく。 今までも。 そしてきっとこれからも。 例えもう二度と会うことがなくても。 だって俺の運命は、おまえだけだから。 長い長い映画を見ているように、楓との思い出を辿っていると、足にぶるぶると振動が響いているのに気が付いた。 ジーンズのポケットに入れっ放しだった携帯を取り出すと、ディスプレイには『和哉』の文字。 『遅いっ!なにやってんの!』 耳に当て、俺がなにかを口にする前に、怒声が飛んでくる。 「遅いって別に…」 反論しようと右腕の時計を確認して、驚いた。 いつの間にか、もう夕方といえる時間になっている。 もう一度空を見上げると、ジリジリと肌を焦がすように照りつけていた太陽は、ずいぶん西に傾き。 その日差しを少しだけ緩やかなものへと変えていた。 「…悪い。ボーッとしてた」 『…まぁ…たまにはそういうのもいいけど。心配するから、連絡くらいして。事件にでもあったんじゃないかって、気が気じゃないんだからね』 心底悪いと思いながら謝ると、電話の向こうの怒気はあっさり消えて。 代わりに母親みたいなセリフが返ってくる。 「…わかった。悪かった、気を付けるよ」 子どもじゃないんだし、そうそうそんな事件には出会さないだろうと心配性のパートナーに内心呆れつつ、口では殊勝な言葉を吐くと。 ふ、と息を漏らす音がした。 『もう、帰ってくる?お客さんが来てるんだけど』 「客?」 『うん。昼に作り損なったカレー、出来てるから。早く帰ってきて』 俺の質問の答えではなく、少しの嫌みを乗せた言葉が返ってきて。 「わかった。帰るよ」 キッチンに置かれていた野菜たちを思い出し、申し訳なさを感じながら立ち上がる。 何気なく隣のベンチへ視線を向けると、そこにはもう、誰もいなかった。 『あ、ついでにビール買ってきてくれる?少し多めに』 「了解」 通話を終わらせ、公園を後にする。 気持ち、早足でマンションを目指し、途中のスーパーで罪滅ぼしって訳じゃないけど和哉の好きなBudweiserを両手いっぱいに買い込んで。 部屋のドアを開けると。 「やぁ、おかえりなさい、蓮くん」 「あんた…なんで、来てるんだよ」 出迎えてくれたのは、和哉じゃなく。 菊池、という男だった。

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