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翡翠(かわせみ)32 side楓
「シロクマ、可愛い。でも、暑そう」
「あ、ペンギン可愛い!」
「ゾウ、おっきいなぁ…背中に乗ったら、どんな景色なんだろ」
「……なんですか?」
「いや…本当に可愛いなぁと思って」
「………」
動物園なんて、小学生のとき以来で。
伊織さんの眼差しに、年甲斐もなくはしゃいでしまっているのに気付かされて、途端に恥ずかしくなった。
「…すみません」
「なんで謝るの?」
「だって…なんか、子どもみたいでしょ?もうすぐ30になろうって男が、みっともなくはしゃいじゃって…」
「それのどこがいけないの。僕はみっともないなんて微塵も思わないし、寧ろ、柊が見たこともないくらい楽しそうで嬉しいけど?」
そう言う伊織さんは、落ち着いた大人のオーラを纏って俺を見つめていて。
ますます、自分の子どもっぽさに落ち込んでしまう。
「だから…なんで落ち込むの」
「だって…」
「仕方ないなぁ」
くすっと小さな笑い声が聞こえて。
なんで笑われたんだろうと、不思議に思って顔を上げると。
唇に、柔らかいものが重なった。
「…っ!こんなところでっ…!」
慌ててその肩を突き飛ばし、ガードするように唇を両手で覆って辺りを見渡した。
周りにいる人たちは、みんな可愛い動物たちに夢中で、幸いなことに俺たちには気付いていないようだ。
「ごめんごめん。可愛い顔をずっと見せられて、キスしたくて我慢できなかったんだ。僕の方が、子どもだね」
そう言って、伊織さんは悪びれた風もなく笑う。
本心なのか、それとも俺に気を遣っての言葉なのか、本当のところはわからなかったけど。
その笑顔を見ていると、自然と身体の力が抜けた。
この人が本当に優しい人だってことは
もう十分にわかっているから
「…キスするのは、構わないけど…場所は、選んでください」
ほんの少しだけ怒った振りをしながら、そう告げると。
伊織さんはびっくりしたように目を真ん丸にして。
嬉しそうに、俺の腰を引き寄せた。
「っ…だからっ…」
「公共の場所じゃなかったら、君に好きなだけキスしていい、ってこと?」
「…まぁ…そう、です…」
恥ずかしさに、目を逸らしながら頷くと。
ぎゅぅっと強く抱き締められる。
「ちょっとっ…!」
「大丈夫、キスはしないから」
「そういう問題じゃっ…」
「ねぇ…あれ、斎藤環境大臣じゃない…?」
腕を振りほどこうと身を捩っていると、不意に誰かの声が耳に飛び込んできた。
周りを見ると、さっきまでは動物に向けられていた人々の眼差しが、俺たちに向かっていて…。
「…っ…は、早く次、いきましょうっ!」
俺は渾身の力で伊織さんを引き剥がし、その手を掴むと。
駆け足でその場を離れた。
「僕は、別に見られたって構わないのになぁ」
「俺は嫌なんですっ!それに、今の時期にスキャンダルなんて出たら、大変なんじゃないですか!?」
「うーん、そうなったら、君を本当に番にするかな?そうしたら、スキャンダルではなくなるだろ?」
「さっきと言ってることが違いますけど!?」
なぜか楽しそうな伊織さんを睨みながらも。
繋がれた手に、力を込めた。
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