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翡翠(かわせみ)33 side楓
お店の出勤時間があるので、早めに夕食を取ることにした。
動物園の近くのファミリーレストラン。
高級フレンチが似合いそうな伊織さんが、こんな庶民のお店にいる違和感は半端ない。
「ん?どうかした?」
「いえ…なんか、ファミレスと伊織さんって似合わないなぁと思って」
「そう?若い頃はちょくちょく来たよ。それに、そういう君だって、あまり似合ってないけど」
「え…?」
「君の所作を見てると、一つ一つの動きがとても上品だし、洗練されている。マナーも完璧だ。しかもそれは付け焼き刃のものではなくて、君の身体に染み付いたもののように思える。君は、きっと幼い頃からきちんとした教育を受けられる家庭で育ったんだろうね。例えば…旧華族や財閥の家系のような」
揶揄うつもりが、真剣な瞳でそう返されて。
言葉に詰まった。
伊織さんの視線が、俺の全てを見透かそうとするみたいに突き刺さる。
まさか…
本当の俺のこと
なにか気付いてるんじゃ…
「お待たせ致しました。ハンバーグステーキとライスでございます」
ピンと張り詰めた緊張感に、全身の毛穴から冷や汗が噴き出したとき。
場をぶち壊すような明るい店員の声とともに、注文していた料理が運ばれてきた。
「あぁ、ありがとう」
店員に、そう声を掛けると同時に、伊織さんの雰囲気がふわりと柔らかくなって。
緩んだ空気に、無意識に止めていた息を吐き出す。
「…そんなに怯えないでくれ」
店員が去ると、伊織さんは困ったように眉を下げ。
ナイフを取ろうと、カトラリーケースに伸ばした俺の手を、掴んだ。
その瞬間、自分でも意図せずに、ビクンと身体が震えて。
思わず引こうとした手は、もっと強い力で握り込まれた。
「…あ、の…」
声が、震える。
「ごめん。君を怖がらせるつもりじゃなかった」
伊織さんが、顔を歪めた。
「僕は、君が本当はどこの誰なのか、そんなことを知りたい訳じゃない。ただ、君自身のことが知りたいだけなんだ。君がどんな食べ物が好きなのか、何をして過ごすのが好きなのか…好きな色、好きな動物、好きな場所…些細なことでもいい。君の、君自身のことが知りたい。ただ、それだけなんだ」
どこか必死さを帯びた熱い言葉に、身体の強張りがほどけて。
代わりにあたたかいものが胸に宿り、全身へと染み込むようにゆっくりと広がっていく。
それは
どんな愛の言葉よりもずっとずっと深く
心に突き刺さった
「…食べ物は、唐揚げが好きです。休みの日は、出かける用事があるとき以外は、殆どずっとピアノを弾いてます。あとは…なんでしたっけ?」
笑みを作りながら、答えると。
伊織さんは一瞬だけ大きく目を見開いて、それから本当に嬉しそうに笑った。
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