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小夜啼鳥(ナイチンゲール)2 side春海
その瞬間。
足元が崩れ落ちそうなほどの安堵と。
胸を締め付けるほどの愛おしさが津波のように押し寄せてきた。
…よかった…
生きてた………
涙が、勝手に溢れてくる。
「楓…よかった…生きてたんだね…」
それを腕で拭って。
駆け寄ろうとした俺の腕を、立ち上がった亮一が掴んだ。
「かえでって、なに?春海、おまえなに言ってんの?」
「なにって、この人は…」
「どなたとお間違えか、わかりませんが…そんなに、似てますか?あなたの、お知り合いに」
すると、それまで硬い表情で俺を凝視していた楓が、不意にふわっと柔らかく微笑んで。
「え…?」
「初めまして、藤沢様。ようこそいらっしゃいました。私は柊と申します。今宵は、存分に楽しんでいってくださいませ」
知らない人を見る目を俺に向けると、恭しく膝を折った。
「えっ、ちょっ…楓っ!?俺だよ!春海だよっ!」
「春海様…とお呼びしたほうが?」
「違うって!なんで!?俺のこと、忘れちゃったの!?」
「ちょっと!春海っ!」
慌てて詰め寄ろうとした俺の前に、亮一が立ちはだかり。
その肩越しに俺を見つめる楓は、穏やかに微笑んでいる。
知らない人を、見る眼差しで。
「バカ、おまえっ!この人は、かえでって名前じゃねぇっ!誰と勘違いしてんだよっ!」
亮一が怒りを込めた目で俺を睨み付けて、握った拳で肩を小突いた。
「勘違い…?」
俺は、目の前で微笑む人の頭の天辺から足の先まで、もう一度じっくり見た。
肩まで伸びた、柔らかそうな色素の薄い髪。
星の光を集めたような、輝く大きな瞳。
華奢で小柄だけど、スラリとしたバランスのよい身体。
心の中まであったかくしてくれる
春の陽の光のような柔らかな微笑み
違う…
絶対に勘違いなんかじゃない
俺が楓を見間違うはずはない
あんなに愛した人を
忘れるわけないじゃないか
「…楓…なんで…」
「なんの騒ぎですか?」
突然、後ろから地を這うような低い声が聞こえてきて。
「お、オーナーっ!すみませんっ!俺の連れが、なんか柊を誰かと勘違いしてるみたいでっ…申し訳ないっ!」
亮一が、焦った顔で俺の頭を掴むと、無理やり身体を反転させて、頭を膝に付くくらいに下げさせた。
「痛っ…なんだよ、亮一っ…」
「バカ!おまえ!黙って頭下げてろっ!」
「…初めてのお客様ですね?柊は、この店の看板なんですよ。もし、彼を貶めるような振る舞いをなされば、即刻ここを出ていってもらわなければなりませんが…」
「いや!まったく!そんなつもりはありませんっ!」
「…オーナー。私は、大丈夫ですから」
怒りを含んだ男の声と、焦りまくってる亮一の声に割って入るように。
楓の穏やかな声が、響いた。
頭を下げさせられたまま、視線だけ動かしてそっちを見ると。
ゆっくりと立ち上がった楓が、亮一の腕をするりと撫でて俺から離し。
俺の肩をそっと抱いて、頭を上げさせてくれる。
「そんなに似てましたか?ふふ…世の中には3人は同じ顔の人がいるって言いますからね。そんなに似ているなら、そのうちの一人がその方なんでしょうかね?」
あの頃のままの、優しい微笑みを浮かべた楓からは。
甘く芳しい花のような香りがした。
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