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小夜啼鳥(ナイチンゲール)6 side楓

身体の震えが止まらない 10年ぶりだというのに 一目で彼だとわかった 目が合った一瞬はひどく狼狽えたけど でもすぐに心底ホッとしたように 本当に嬉しそうに 春くんは笑った 変わらない優しい佇まい その名の通り、春の海のように穏やかで大きな人 正直に白状すれば 再び顔を見れたことはすごく嬉しかった もう二度と会うことはないと思っていたから 嬉しくて でも同時に恐ろしくなった 俺はもう 春くんの知ってる九条楓じゃない 過去を捨て 別人になりすました俺を 彼はどう思っただろうか 堕ちた人間だと 蔑んだだろうか 春くんの変わらない 曇りのない真っ直ぐな眼差しが俺を見つめれば見つめるほど 自分がひどく穢らわしい存在に思えて 息が出来なくなる…… 「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」 最後の客を見送ると、足から力が抜けて、その場にへたりこみそうになった。 それでも、仲間の前では情けない姿を晒すわけにはいかないから、腹に力を入れてそれを堪える。 頭が、ぐらぐらする 春くんは、まだ龍と付き合いがあるんだろうか 俺がここにいることが、龍に伝わってしまうだろうか そうなれば、俺は…… 「…っ…」 龍に噛まれた肩の傷跡が、じくりと疼く。 「柊、ちょっと話がある。来い」 無意識にそこに手を当てると、酷く硬い声が背中から聞こえて。 振り向く前に、ぐっと強く腕を引かれた。 「っ…オーナー…」 那智さんが怒ったような険しい表情で俺を一睨みして、指が食い込むほどの強さで掴んだ腕を、引き摺るように歩き出す。 那智さんの醸し出すビリビリしたオーラに、みんな恐怖にひきつった顔で俺たちを遠巻きに見ていて。 「柊さんっ…」 今にも泣き出しそうな志摩を目の端に捉えながら、フロアを出た。 そのまま階段を下り、オーナー部屋へと入ると、やっと手を離してくれたけど。 那智さんは相変わらず、睨むように俺を見ていて。 でも。 「…あいつ、なに?おまえと、どういう関係だ?」 目の奥をよく見てみたら、怒ってるんじゃなくて、どこか不安そうに揺れていて。 不器用なこの人の、大きな大きな優しさに胸の奥が震えた。 だから。 俺は観念して目を閉じ、息を吸った。 「幼なじみだよ。小学校から高校まで、ずっと一緒だった」 今まで『楓』だった頃のことは、なに一つ話したことはなかったし、那智さんも敢えて聞こうとはしなかったけど。 もう、誤魔化せない。 春くんの真っ直ぐな眼差しが 今まで必死に纏っていたはずの鎧に ひびを入れたからかもしれない どんなに忘れた振りをしても どんなに違う人間になりすましても 結局俺は『九条楓』でしかないんだと あの一瞬でそう知らしめられたのだから それに 俺が春くんに見つかったことで この店に掛かる迷惑を考えれば 隠しておくことは出来ない 「幼なじみって…あいつ、藤沢製薬の社長の次男坊だろ?」 「うん」 「じゃあ、おまえは…」 「…俺の本当の名前は、九条楓。父は、九条財閥当主、九条剛だよ」 その瞬間、那智さんの目がこれ以上ないくらい、大きく見開かれた。

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