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小夜啼鳥(ナイチンゲール)14 side志摩

その日も、開店早々にあの藤沢って人が店にやってきた。 「…おまえ、その不細工な顔、なんとかしろ」 柊さん専用の、一番奥のソファ席で親しげに話をする二人へと視線を向けてると、涼介のデコピンが飛んでくる。 「痛っ…」 「そんな顔で、お客様のとこに行く気かよ?それ、柊さんのテーブルだろ?」 「そんな顔って?」 「あいつに近付きたくなーいっていう、不満たらたらな顔」 ズバッと指摘されて。 思わず、口をへの字に曲げた。 「…ガキか」 「だってさ…」 嫌なもんは、嫌なんだもん あいつのせいで、柊さんおかしくなるし そのせいで、店の雰囲気も微妙だし… 「…俺だって、面白くはないけど…。仕事だって割りきるしかないだろ」 涼介は呆れ顔で大仰な溜め息を吐くと、僕がこれからそのテーブルに持っていくはずのビールが乗ったお盆を取り上げる。 「これは、俺が持ってく。おまえは、他のテーブル回れ」 「え…いいの?」 「…店の評判、落とすわけにはいかねぇだろ」 もう一度、僕にデコピンを食らわせて。 くるりと涼介が背中を向けた。 その時。 バニラみたいな甘い香りが、微かに鼻先を掠めた。 「えっ…?」 今の、感じは…… 「…どうかしたのか?」 僕に別のテーブルに運ぶウイスキーを手渡そうとしていた隆志さんが、訝しげに眉をひそめる。 振り向いて、涼介の背中を見つめたけど、特に変わった様子はなくて。 「いや、えっと…」 もしかして自分の勘違いかと、言葉を濁したら。 「っ…ぅ…あぁっ…!」 柊さんのテーブルの側にいた涼介が、苦しそうな呻き声をあげて踞って。 今度ははっきりと、甘ったるいバニラの香りがフロア中に広がった。 ヒートだっ…! 「涼介っ…!」 柊さんが、涼介に手を伸ばす。 でも、次の瞬間。 そのバニラの匂いをかき消す、濃厚な梔子の花の香りが一気に広がって。 それに包まれると、ものすごい熱が身体の奥からマグマのようにぶわっと溢れてきた。 「あぁっ…!」 「志摩っ…!」 崩れ落ちるようにその場に座り込んだ僕に、隆志さんが真っ青な顔でカウンターを飛び越えて駆け寄ってくる。 「ヒートか!?」 「…ん…」 「抑制剤、持ってるか!?」 「ん…」 痺れたように震える手で、ズボンのポケットを漁ろうとすると。 隆志さんが僕の手を押し退けて、ポケットから薬の入ったPTPシートを取り出して。 乱暴に破り、飛び出てきた白い小さな錠剤を僕の口に押し込む。 「効いてくるまで、我慢できるか!?」 「んっ…」 「早く、外へ…って、くそっ!ちょっと待ってろっ!」 盛大な舌打ちと、叫び声が聞こえて。 僕を支えてた腕が離れた。 反射的に顔を上げると。 「いやぁっっ…!」 フロアの一番奥で。 それまで別々のテーブルで穏やかにお酒を飲んでたはずのお客様たちが、まるで獲物に群がる猛獣のような顔で、柊さんに向かってるのが見えた。 「柊さんっ…!」

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